「うるさい」
小さなスーパーでごきげんナナメで落ち着いてはぐずり...を繰り返していた長男
“はぁ”と思ってた
「みんなびっくりしちゃうから」
「みんなやだなってなるよ」
等、声はかけていたけど、スーパーに行く前にもひと悶着あったわたしの顔はきっと疲れてた
自宅にいたら「うるさい」って言ってたかもしれない
以前は「うるさい」って言葉を使わないようにしていたけど、最近、普通に口にするようになってた
手を挙げてるわけじゃないし、許される気がしてた
でも、今日、「うるさい」って言葉の冷たさ、悲しさを感じた
長男がその小さなスーパーで見ず知らずの年配のおばさんに
「うるさい」
そう言われたのだ
それも、わたしから長男が少し離れてしまったタイミングで
短い通路に長男とそのおばさんしかいないときに...
ちょうどわたしが長男のもとに行ったときだったのでそのときのおばさんの言い方、表情をしっかりと見てしまった...
確かに、小さなスーパーだからなおさら長男のぐずる声は耳障りだったのかもしれない
ただ、寝そべって延々泣いてたわけでも、寄声をあげてたわけでもなかった
(こういう子がいたとしてと「そういうお年頃だよね」とわたしは思えるけれど)
でも、そのおばさんは低く冷たい言い方で、眉間にシワを寄せて明らかに怒った顔で、長男に「うるさい」と言った...というより言い捨てたのだ
声はそんなに大きくなかったから、周りには気付かれないように吐き捨てたのかもしれない
本当に嫌だったのだと思う...
言われた直後、長男は一瞬止まってわたしを見るなり泣いた
もうわかるんだよね
「うるさい」
が悲しい言葉だって
それにこわかったよね、きっと
そばにいてあげなくてごめんね...
わたしはすごく悲しかった
わかってる
確かに長男は“うるさかった”し、子どものぐずる声が嫌いな人がいるのもわかってる
少し甘えた考えがわたしにあったのかもしれない
だけど、悲しかった
今まで長男が出かけ先でぐずることなんて何度も何度も...いや、毎回のようにある
あたたかい目で見てくれる人
クスクスっと笑って見てくれる人
「お母さん大変ね」って声をかけてくれる人
あるときは「どうしたの?」と声をかけて、次男を抱っこしてるわたしが「(長男)抱っこしてほしくて泣いてるんです」とこたえたら「じゃあおばちゃんが抱っこしてあげる」と本当に抱っこしてくれた人
中には“あらあら”と苦笑いの人もいたし
わたしが見て見ぬふりをしていたけど、嫌そうな顔をしてる人もいた
それでも今日みたいなことはなかった
だから甘えていたのかもしれない
それでもやっぱり悲しくて
今も悲しくて
長男を思うと切なくなる
これが“現実”なんだ...
“子どもがぐずるのは当たり前”
なんて思ってちゃいけないのかな
手で口でも覆えばいいのかな
力づくでも黙らせればいいのかな
ぐずる子を連れて出歩かなければいいのかな...
だとしたら、とても冷たい世の中だと思ってしまう...
これもわたしの甘えですか?
わたしも日常の中で長男に「うるさい」と言ってしまっていたけれど、もう言いたくないなと本当に思った
きっと余裕がないときはわたしも今日のおばさんのような表情で長男に「うるさい」って言ってるんだと思った
ゾッとする...
そのおばさんは言ってすぐに立ち去ってしまったからこちらが謝ることもできなかった
わたしは長男に「大きい声を出してるとみんなやだなって思うんだよ」と抱きしめながら声をかけ、自分も泣きそうになるのを堪えた...
その後も買い物を済ませるために店内にいたけれど、なんだかいつもより周りの目が冷たく感じたのは気のせいだったのかな...
赤の他人から我が子に向けて言われる
「うるさい」
思っていた以上に冷酷だった...