ミッシングピースの問い合わせや中断してる撮影が恐ろしいくらい、5月7日以降に動き出そうとしてるのをヒシヒシと感じます。

 

振り返れば、私がコロナを強く意識したのは

鳥谷宏之が出演していた劇団た組。第20回目公演「誰にも知られず死ぬ朝」の劇場、彩の国さいたま芸術劇場の公演がた組。以外は全て上演中止になると知った夜でした。

当事者意識が芽生えたのです。

 

2月27日

我々に出来る最大限の注意をそれぞれしつつ、千穐楽まで無事に迎えられればと思います。と主宰から連絡が来た時の複雑な想いと、こういう時に求められる、果たすべきプロデューサーの役目について深く考えさせられました。

 

3月になり、劇団MONO「その鉄塔に男たちはいるという+」の東京公演が中止になるかもしれないと連絡が入り、劇団の危機を受け止めてる土田さんの対応に心が潰れそうになりました。

二人でプロデュースした映画「それぞれ、たまゆら」を上映してくれる劇場を何としても決めて、少しでも土田さんを勇気づけたいと思って、

 

プロデュースした映画「はりこみ」の京都イオン桂川シネマでの上映に連動して舞台挨拶のため、板垣雄亮、池田香織、鳥谷宏之を京都にアテンドした前後に、京都の劇場を走り回った3月5日。

一瞬でしたが、吹雪となった京都にも

方位を間違えて示すiPhoneにも

未来のメタファーを感じて、不安な気持ちでいっぱいになりました。

 

あの時、コロナは完全にもう、他人事ではなくなったのです。

 

 

 

東京に戻ってからはスタッフをほぼ、自宅作業に切り替え、最後のイベントとしてCMPセッション(シネマプランナーズ公認の演技ワークショップ)を3月27日に「不特定多数の3密ではない」と判断して開催しました。

 

肌寒くても換気のために会場はずっと扉を開けて、消毒液をなんとか用意して、対面でセリフを言わないようにシーンを考えたりしました。

 

あれから四週間が経ち、CMPセッションの参加者のどなたもコロナを発症していないことに安堵しています。

 

3月末からは事務所は完全、自宅作業に切り替えました。

4月になり、俳優たちには今後のエントリーの指針を一人ずつ俳優に確認しました。

エントリーをしばらく見合わせる俳優も出てきました。その選択を尊重しています。

 

先々週には自分の体や心が安定していないと感じるようになったので、日常のルーティンワークに朝の散歩を加えたり、

1週間という感覚を保つために、週に1日は仕事から離れることにしました。

 

医療従事者の娘が自宅待機になって、

当然、娘は私の行動にあれこれ、注意をしますし、

友人や知り合いがコロナで亡くなったと、葬式にも行けない、寂しい送り出しだとラインが届いたりして、

 

 

コロナはすぐ真横にいる。。。今はコロナと共存してるような気持ちです。

 

そのことに少しずつ、耐性がついてきた、受け入れ始めていると感じています。

ここから。。。これから。。。だと思うのに

 

5月7日で喪が明けるかのように蠢いている世間が心配です。

 

コロナはいつかは終息します。でも、この危機を乗り越え、同じ場所に戻ったらあかんと思うのです。

何もかもなかったかのようには出来ないと覚悟をしないとです。

 

 

忌々しいコロナの影響で私の価値観は変わりつつあります。

生来、人間は同じ場所になんて止まっていられないんだから、この変わりつつある価値観、まだはっきりと”こうだ!これで行く”とは決められない、見つからない価値観ですが、

 

ネガティブに否定するのではなく、変化を受け止めようと思っています。

 

 

もう、コロナの前には戻れない。

コロナを経験したからこそのポジティブなものを手に入れよう。

 

人間、大きく変わるためには余程のショッキングなことがないと中々、変革できないものです。

価値観、生活パターン、自分が、周りが、世界が、幸せになるために充実するために、根本的に自分を見つめ直し、自分のデフォルトを変えるのは今しかない。

 

だから、5月7日でなくても、緊急事態宣言が撤回されても元に戻るはずはなく、

いずれ、終息宣言が出されても元に戻るはずはなく、

 

世間がわぁ〜って喜んでも、TVのニュースがそんなことを報じても、流されないで

 

今、新しい形を探しながら向き合ってる自覚を忘れないでいようと思ってます。