3人の男優グループと2人の女優グループと面談しました。
みな、同じ弱点があります。
個別で話すと私から特別な思いをかけられていると受け取られるかもしれないので
グループ面談にしました。
女優については、あと3名はそのグループと同じ弱点を持っている女優がいるのですが、
既に別の機会に個々に話していたり、今は話す時期ではないと判断したので
呼び出すのを止めました。
話した内容は要約すると
―――俳優を職業として捉えた時、当然、生まれてくる視点が無いこと。
―――視点が無いことに気が付いていないこと。
―――思い付いたら行動に移す。移さなければ思いつかないのと同じであること。
―――納得できなくても、分からなくても、やってみること。やってるうちに分かることもある。
ミッシングピースは俳優をアーティストとは捉えていません。
そういう俳優も存在しています。
演じることが生きる喜びだから、職業として成立する必要のない人達も俳優だと私は思います。
ですが、私たちが所属俳優に求めるのは職業としての覚悟と日常です。
職業としての責任と覚悟と日常は、社会人は皆、それなりに持っているものです。
職業でなくても「母」として生きる、「父」として生きる責任と覚悟と日常、
社会の一部である責任と日常を大人は背負っているのですが、
俳優は・・・
始まりと終わりを自分で決められるから、
入社式もない、退職金もない、子供を授かる瞬間のような、何かを授かる瞬間が無いから
責任と覚悟を意識する機会に恵まれていない。
撮影やオーディションがある以外は始まりと終わりのない日常だから
日常を大切にできない。
人間を演じる仕事だからこそ、大切にしなければいけないことと向き合えていないと話しました。
閑話休題
今、ミッシングピースは俳優の募集はしていません。
にもかかわらず、事務所にはちょくちょく、所属の問い合わせやプロフィールが届きます。
いわゆる志望動機によく書いてあるのが
有名になりたい(もっときれいな言い回しになっていますが、要するに有名になりたいのです)
作品を通して誰かに感動してもらいたい(誰かの人生に影響を与えたい)
作品の一部になりたいetc
それはそれとして、心に秘めておいてほしいです(笑)
就職の志望動機に
私の人生のために踏み台になってください。
私が幸せになるために利用させてください。
書く人はいません。
募集はしていませんが、届けられた書類にはしっかりと目を通します。
「この人はミッシングピースのピースになれる人だろうか」と言う基準で考えます。
敢えて言うと
「この人が入ることで、ミッシングピースにメリットがあるか、ないか」で考えます。
話を戻して。。。
5人は(3人と2人)は納得していたようです。
反省していたようです。
いろいろと考えていたように思います。
私ができるのはここまで。
その”納得””気づき””反省”で行動が変えられるか
変え続けられるか、
そこが問題。彼らの問題ですね。