とある制作会社の大ベテランの大物プロデューサーHS様を鳥谷宏之と、彼の先輩Yさんと私、3人で訪ねました。
 
 
3年越しのラブコールがやっと実った瞬間でした。
 
 
感慨深いものがありました。
 
 
3年前、時代劇にとても強いその制作会社に営業して、全く手ごたえが無く、自分の力のなさに嫌気がして以来、
 
 
何とかして、いつか必ず、辿り着いてやるんだと自分に誓い、ことあるごとに、その機会を狙ってきましたのですから。
 
 
3年かぁ。。。
 
 
でも、よく考えると、物語は15年ほど前から始まっていたのかもしれません。
 
 
 
というのは、そもそもの話の顛末をお話させていただくと。。。
 
 
15年程前の京都、YさんとHさん、Yさんと鳥谷は出会いました。。。
 
 
Yさんは京都の大学生で、地元京都のレンタル布団屋さんでバイトを始めます。
 
 
そこで、Yさんは頭の切れる芯のあるHさんに出会い、親友になりました。
 
 
同じころ、Yさんは大学で後輩の鳥谷と出会います。
 
 
Yさんは、礼儀正しい鳥谷を後輩として可愛がるようになり、その後、折に触れ、彼を助けます。
 
 
やがて鳥谷とYさんは大学を卒業し、三人はそれぞれの道を歩み、時は過ぎていきました。
 
 
そして10年程前、また、運命の針が動き出します。
 
 
鳥谷が俳優として上京し、テレビ局に務めていたYさんを訪ねます。
 
 
Hさんはというと、
Yさんと出会ったレンタル布団屋さんが潰れかけたのを立て直し、そこの社長になり、事業を拡大していました。
 
 
Yさんは、Hさんと鳥谷を引き合わせ、一緒にお酒を飲む仲になりました。
 
 
 
Hさんは俳優、鳥谷のファンになり、応援してくださるようになりました。
 
 
私は鳥谷と出会い、意気投合し、俳優、鳥谷のマネージメントを引き受けます。
 
 
そんなこんなで、
私がHさんとFacebookで繋がり。。。
 
 
ここまでは、まだ世間では、よくある話かもしれませんが、
 
 
私がプロデュースした鳥谷主演舞台「2015TRANS」にHさんが映像関係者を沢山、招待してくださり、
 
 
そのことで、Hさんのお父様が日本で有数の制作技師だと判明し、
 
 
私がどうしても繋がりたい制作会社があるとHさんに相談し、
 
 
Hさんがお父様に聞いてくださって、
 
 
そうしたらとお父様は、ガッチリその制作会社の仕事をしていて、
 
 
そして、昨日、念願の場に至ったわけです。
 
 
私たちを迎え入れてくださったプロデューサーのHS様は、Sプロデューサー、Mプロデューサー補を同席させてくださり、私たちの話をしっかりと受け止めてくださいました。
 
 
こうやって考えていくと、
このチャンスの芽は、いったい何時から芽吹いていたのかと考えずにはいられません。
 
 
15年前、YさんとHさんが出会った時に芽吹いたのでしょうか。
 
 
私が3年前、営業で空振りだったときに芽吹いたのでしょうか。
 
 
 
毎日、沢山のチャンスの芽が芽吹いているような気がしてなりません。
 
 
毎日、沢山のチャンスの芽を踏みつぶしているような気がしてなりません。
 
 
せっかく芽吹いたチャンスの芽を、大樹に育て、緑豊かな森に育てることが出来ますように。
 
 
毎日を大切に、人を大切にしていきます。