塩田王と野崎家③
今日はあの日本一の塩田王を誇っていた野崎家が、
なぜ没落してしまったのか、その考察をしていきます。😌
児島の町並みを歩いていると、閑散とした町並みがひろがり、
あまりの廃れ具合に、疑問を感じていましてね。🤔
廃墟になった銀行跡や古びた家屋🥴
さて旧野崎家の門前町には、
まさに野崎家の繁栄によって発展したきた地域でした。✨
そのため、衰退が比例して見えるというのは、
背景としてとても自然です。🤔
明治末〜大正期の塩業構造の変化も、影響しているように感じます。🤔
ターニングポイントはやはりあの日露戦争後でしょう。🤔
産業拡大で塩の需要は増え、
同時に大規模な近代化や機械化の波が全国で進み、
江戸時代からの伝統的な入浜塩田では、
競争力では勝てなくなっていきました。🤔
中規模の塩田は、次々に統合されて、
個人資本だけで塩業を続けるのが難しい時代へと入ったともいえます。🥴
また明治時代から財閥企業による塩業支配の進行も重なります。
三井物産などが塩業界に参入し、流通市場を押さえていきました。🥴
野崎家のような、地域の大地主型ビジネスでは、近代的経営モデルと競合して不利に。🥺
同時に塩の流通や価格に対する政府の規制も強まっていきます。
日露戦争以降、明治政府によって塩専売が国策として進み、
個人の大塩田主は、利益構造が制限され、自由な経営が困難になります。🥴
野崎家の三代目以降の経営者は、地域への寄付・投資などの公益活動が多いので、
世界規模で、塩や生糸、機械の輸出を展開する三井、三菱の前ではどうにもならなかったのだ。
また、大正期以降の不況も重なり、
資産に比らべ、利益が成り立たない状態になっていくのです。
つづく。




