阿曇氏③ | ニューハーフ水朝美樹(吉川未来)の ~乙女な内緒話~

阿曇氏③

今日は大鹿村へ運転手です✨🌄🎋


さて阿曇氏の最終話。


天武朝の阿曇連稲敷が、

日本書紀の編集事業につながる作業にかかわっていることが明るみになってきましたが、


雄略天皇の段階ではいまだ成立していなかった海人。🤔


古代の日本において、海を生業として航海術にもすぐれた海の民 は、

列島沿岸部に広く存在したのでしょう。✨

海の民のすべてが海人に編成されて、 大王への奉仕を義務づけられたということではないようです🤔

海人の呼称は、そうした海の民 一般を指す語としても用いられました。

火明命を始祖とする尾張連(宿禰) 氏と同系のウヂ。

それ以外にも、海部の管掌にかかわったウヂが存在したことも知られています。✨

尾張地方の海部は、尾張連氏がその管掌者でした。😌

紀伊地方の海部は紀臣氏。
吉備地方の海部は吉備臣氏がその管掌者です。

海部のすべてを、阿曇連氏とその
同系氏族が統轄していたのではなかったことは明らかですね💋

阿曇(ア ヅミ)という語が、海積・海人積(アマツミ)の約ともみれます。✨

阿曇部は、信濃・隠岐・備中・ 周防・阿波・伊予・豊後などで確認でき、阿曇(安曇)も、信濃国安曇郡、
近江国伊香郡安曇郷といろいろあります💋

それらも昔の地形を紐解くと、遠浅の海岸に位置しています💌

阿曇連氏の分布が、摂津や河内・播磨や淡路・阿波などの瀬戸内東部に多く分布することをあわせて考えるならば、🤔

阿曇連氏はもともと淡路島を含んだ大 阪湾地域の海の民を広く掌握していた一族とみることも可能でありましょう😌

阿曇連氏の本拠地を北部九州に求めるのはすこし困難ですね。😥

古代の北部九州や志賀島に、阿曇連氏を首長とした特殊な海人族。

大和の国、摂津国、瀬戸内海を隔てて、筑紫地方に及び、志賀島から朝鮮半島へとつながる道筋が見えてくるようですね😌

やはり卑弥呼は、大和の国から発せられる邪馬台国の線が、

浮き彫りに感じるのでした。🤔

さあ、今日も1日がんばっていきましょうね🌸🌸🌸