会津若松② | ニューハーフ水朝美樹(吉川未来)の ~乙女な内緒話~

会津若松②

今日も引き続き郡山です✨

さて会津若松のつづき。


会津城近くには、醤油醸造の並びに内藤邸跡があり、白露庭が残っていました。🌞


江戸時代末期に会津藩の家老だった内藤介右衛門信節。


調べてみると天保10年の生まれ。


内藤家は会津藩の藩祖保科正之が、
保科家に養子になる前の、保科家の親戚筋で、
当初は武田家に仕えていたものの、武田家が没落して徳川家に仕えます。

保科家の重臣となり家老職を歴任。

26歳の時に若年寄に抜擢され、
鳥羽伏見の戦いでは大坂城を守備。🌞

会津戦争では白河口総督に。💋

新政府軍が母成峠で勝利して、
数日の間に鶴ヶ城下まで押し迫った為、やむなく鶴ヶ城に帰城し三の丸の守備に。🥺

会津藩が降伏すると猪苗代で謹慎。
明治3年に斗南藩へ移住しましたが、
廃藩置県により
領内だった五戸村に定住して明治32年に五戸村で没しています。🤔

内藤邸の周辺は西郷頼母邸など、
家老屋敷が軒を連ねていた事からも、
軍事的にも重要視されていたと思われます。✨

いまは白露庭の庭園だけが残されているのみ。🥺
当時の家老上級武士の生活の一端が覗えます。😌

たった150年前の出来事🥺。
維新志士、白虎隊、尊皇攘夷。

会津の女性は、
いまでも健かな心の強さが際立っていました🤔

さあ、今日も1日がんばっていきましょうね🌸