会津若松④ | ニューハーフ水朝美樹(吉川未来)の ~乙女な内緒話~

会津若松④

石垣には武者上りや、銃痕の跡が生々しい😌

戊辰戦争の勃発で、松平容保から
家老職復帰を許された西郷頼母は、
江戸藩邸の後始末の任を
終えたのち会津へ帰還。🤔

政変の江戸の様子も伝えたであろう。
西郷頼母を含む主な家老や
若年寄たちは、
松平容保の意に従い
新政府への恭順に備えていましたが、
新政府側からの家老らに対する
切腹要求に態度を一変。😰

西郷頼母は白河口総督として
新政府軍を迎撃。
二ヶ月以上にわたり白河口を死守しましたが、
棚倉城陥落の責任により
総督を解任される。😥

若松城に帰参した西郷頼母は、
藩主である松平容保の切腹による
会津藩の降伏を迫ったため、

松平容保以下会津藩士が大激怒。💦
身の危険を感じた西郷頼母は、
伝令を口実として城から逃げ出しました。😰

西軍が鶴ヶ城下に侵入して急を告げる早鐘が打ち鳴り、

会津藩士の家族達も籠城戦に備え競って城を急いだ。🌞

西郷邸では、頼母の留守を預かる妻千恵子が、長男 一族を集め、幼い者や子女を城に送り出した後、

恥辱を受ければ家名の恥になると説き

母をはじめ、二才までの二十
一人そろって辞世の和歌を詠み自刃💦

○なよけの風にまかする身ながらも
たわまぬ節はありとこそきけ

○死にかへりいくたび世には生まるとも
ますら武夫となりなんものと

○思い立ぬるよみの旅かな

○いざたどらまし死出の山道

この日は、230余名の婦女子が自刃するという悲劇を生む戦いとなった😥

西郷頼母は
何一つ守れていない🤔挙げ句に逃げる。我が身可愛さか。
片桐且元状態だったのか。

徳川慶喜や家臣が逃げて生き延び、
松平容保公以下家老は切腹とは。

会津が勝手にいくさをやったこと。
我々徳川は預かり知らぬ事。

すべての罪を会津に塗り被せようとしたのか。

将に将たる器に非ず。。苦労知らずのまさに世襲制のなせる悲劇なのか。😥

責任から逃げる徳川慶喜。
落とし所を探す新政府軍。

さらに考察を深めようと思う。

さあ、今日も1日がんばっていきましょうね🌸🌸