会津若松③ | ニューハーフ水朝美樹(吉川未来)の ~乙女な内緒話~

会津若松③

今日で郡山での最終日🌸です💌

さて会津藩家老である
西郷近思の子として西郷頼母は生まれました。

会津藩の家老は世襲制で身分意識が強く、
会津の名門九家の者しか
家老に就くことが許されなかったのでした。🥺
「ならぬものはならぬのです」
という教えもあいまって、
身分が低くても優秀であれば
出世できる、などということも
許されなかったのでした。🤐

これが会津の根幹をなしてきた、まさに負の遺産というべきか。🤔

西郷家を調べてみると室町時代、
仁木氏の守護代を務めた
三河国の名家でした。✨

やがて勢力を拡大させる松平家に臣従。
徳川政権下で御三家や有力譜代の家臣として
存続し続けていきます。✨

会津藩における西郷家は、
初代の西郷近房以来200年余、
会津藩松平家の家老を代々務める家柄となり、
西郷頼母で9代目🤔
家紋は保科家の並び九曜紋を許されているほど。🌞

そんな西郷頼母の家族に悲劇が起きる。
母と妹2人、妻と5人の娘は
1868年10月8日、
西郷頼母の登城後に親戚12人と共に
自邸で自害しました。😰

頼母は、幕府から京都守護職就任を要請された松平容保に対し、
政局に巻き込まれる懸念から辞退を進言したため、
松平容保の怒りを買う。😥

その後も、藩の請け負った
京都守護の責務に対して否定的な姿勢で、
禁門の変が起きる直前に
上京して藩士たちに帰国を説いていました。💦
ところが、逆に帰国を強いられ、
家老職まで解任され蟄居させられてしまう。😰

はたして西郷頼母は、
優れた人物だったのだろうか。

つづく