安宅の関
今日も引き続き金沢でのお仕事です💖
今朝は、末松廃寺まで9キロ走りました。
さて話は変わりまして、富樫氏の由来は
源平の壇の浦の合戦後ですね。🥺
安宅の関😌で、
追われる義経一行を捕まえるため、京家・四方に厳重警戒に当らせていたところ、
文治三年三月に、弁慶以下主從十二人が通りかかりました。✨
一行は東大寺復興のため諸国巡りと称して、
読経を行なったら、義経らしき人物がいると疑われ、
弁慶が金剛をもって主を打ちに至ります。
物語は弁慶の智 、富樫の仁義、経の歌が混然一体に融合しています。💖
「勧進帳」の終幕の後で通行を許された弁慶は、勇んで退場します。✨
二代目市川、七代目松本幸四郎 をモデルに、創作されています。😋
それにしても安宅の関は海🌊にめんしていたとは。🤔
地形から見ても、白山が巨大に張り出しているので、金沢平野に入る入口を安宅の関に絞っていたのでしょうね。🤔🔥
地形から昔を読み取るのも、歴史好きの一つですね💕
さあ、今日も1日がんばっていきましょうね🌸🌸🌸