海辺の駅から戻り、車検のために親戚が経営している店舗に行った。
車検工場も事務所も閉鎖、並べてあった中古車も撤去されてガランとしている。
一体何事かと社長の家を訪ね、玄関を開けると同時に線香の匂いが流れてきた。
社長の家と我が家は本家と分家の関係、冠婚葬祭の付き合いはもちろん、4台の車も農業用の機械類も全部世話になってきた。
社長は12月3日に亡くなり、どこに知らせるか誰にも分からず、一番近い我が家には連絡がなかった。
連絡があったとしても、わたしは帰れず最後の別れは出来なかったが。
最後に社長に会ったのは昨年10月17日。
コンビニでたまたま出会い、しばらく立ち話をした。
わたしは手術入院の前日、社長は抗がん剤後のPETCTの結果が出る前日。
膵臓がんが肝臓や腹膜、骨にまで広がっており、聞くからに年内は厳しいと思われるが抗がん剤が奏功し至って元気そうに見えた。
「死にたくない、今は死ねない」と繰り返し、わたしは思いつく限りの励ましの言葉をかけギュッと手を握り合って別れた。
それから半月足らずの10月末に社長は脳梗塞を起こして救急搬送され、脳神経外科に入院、左半身不随になり、その半月後に脳出血を起こした。
がん専門病院に通院しながら抗がん剤治療を受けていたので、その病院に転院を強く希望したが、通院出来ない状態なので受け入れも治療もかなわず、せっかく半分に減っていた肝臓の腫瘍が爆発的に増え胆道を圧迫して黄疸。
がん患者は脳梗塞を起こしやすいのに脳や心臓を診る科が無いのが専門病院の謎。
社長は最後の10日間は自宅に戻り家族の看病を受けた。
6月末に突然の血尿で受診した段階で余命3ヶ月を宣告されたが、息が止まるまで意識が明瞭で生きる希望を持っており、何も言い残さず逝ってしまった。
数え年で70歳。
翌日、お香典、お供えのお菓子、お花を持って出直した。
社長の奥さん、恵美子(仮)さんとは彼らの結婚式以来、20年振りに言葉を交わすことになった。
恵美子さんは事務所には出ていなかったし、何度かの互いの家の葬儀には夫や息子が行ったので、姿を見ることもなかった。
初対面でもあり、早々に失礼するつもりでお昼前に行ったのだが、踏み込んだ内容になってしまい、2時間近く話し込んでしまった。
一つ一つが大きく重い。
恵美子さんは後妻で、死別した前妻が産んだ男女の双子を20年間、28歳になる今まで育ててきた。自分の子どもを持つようにと周囲は勧めたが、公平に愛せなくなることを理由に生まなかった。
双子の姉娘は結婚しているが息子は統合失調症を発症し、自宅で引きこもっている。
息子は結婚も就職も絶望的な状態だが自分では働けると思い込んでおり行政とは繋がらず、怒らせると暴れて壁や障子を傷める。
息子に関しては社長が世話をしていたので恵美子さんは扱いに困っている。
双子の生みの母はわたしの隣家が実家だが、この家は普通でない精神状態の人が多い。そのため、結婚している姉娘は遺伝を恐れて子どもを産まないと言う。恵美子さんも産まないように勧め、養子を育てるようにアドバイスしているそうだ。
恵美子さんは実の娘のようにいい関係を築いている様子だが、このアドバイスは行き過ぎに感じる。
将来、子どもを生まなかったことを後悔する日が万一来たならば、アドバイスした継母を恨むことになりかねない。
あるいは、養子にした子どもが何らかの病気を発病することもあり得る。
「子どもを生むか生まないかは夫婦で相談して決めるのがいいと思います」
暗に、恵美子さんの口出しは禍根を残すと言ったのだが、憮然とした表情だったので言わない方がよかったのかも知れない。
恵美子さんは高校の英語の教師をしていたので障害児を育てることに偏見を持っていると思われたくなかったのか、双子の同級生に障害のある子がいてお母さんがいつも学校に来ていて頑張っている姿を見て生徒たちも保護者も感動したと言った。
わたしは脳脊椎に先天異常のある歩けない娘を育て偏見に満ちた学校や保護者、隣近所と戦ってきた。障害児を育てるということはそんな美しい話では決して無く、親は子どもを残して先に死ぬという現実、世の中は親切な人ばかりではなく、人の不幸を喜び差別する悍ましさに打ちのめされながら、それでも頑張り続けないといけない。
わたしの言葉を聞いて恵美子さんの表情が変わった。
息子に対しての本音が出始めた。
発達障害があるのではないか、幼稚園の頃からずっと周囲について行けず、普通に成長している双子の姉に対してコンプレックスを持ち、あからさまに言動に表れている。
義父母と二世帯の家は大きく立派だが、義父母を見送った家に息子と二人で暮らすには広すぎるし、息子は真夏のような恰好をしてエアコンをつけっぱなし、出かけるときにもエアコンを切らないので電気代がものすごくかかっているが注意すると怒って暴れるのが怖い。
出来ないことが多く、簡単なアルバイトもまず採用されないだろうし採用されたとしても3日以内に首になるはずだと恵美子さんは言う。
障害者手帳は持っていない。
わたしは何度も社長に言ったが世間体と息子が不憫だと言って申請していない。
父親がいなくなった今、息子に申請を説得するのは不可能で危険、何度も就職で失敗して自覚するのを待つしかすべが無く、その時に何が起きるか想像するだに恐ろしい。
わたしの持っている知識を伝えながら、恵美子さんの恐怖と大変さに気が遠くなる。
何も言い残さず逝ってしまった社長。
わたしの夫も突然死で何も言い残さなかったが、通帳や暗証番号などは一覧表にしてあった。
社長は、会社を経営しながら何一つまとめていなかった。
2500万円の借り入れがあることが分かった。
預貯金は一切なかった。
経営は赤字続きで社長は僅か5万円の給料でやりくりしてきた。
10年ほど前に、これ以上赤字がかさむ前に畳むことを恵美子さんが提案したが、畳むと従業員二人が仕事を失うと言ったそうだ。
その判断はわたしには理解出来ない。
工場も事務所も売却して返済しないといけない。
売却して一体どれだけ生活費として残るのか。
5人の税理士の費用だけでも120万円かかる。
遺族年金は10万円しかない。
従業員として弟と社員が一人いる。
弟は退職金を2000万円要求している。
そんなお金があるはずもないが、弟は経営状態を知らないので隠していると責める。
前妻の生命保険が3000万円入ったのを知っているのでお金はあるだろうと言うが、そんなお金は赤字経営につぎ込まれて何も残っていない。
弟の妻は社長だけが金儲けをしていたと長年恨んでいる。
目の前に向き合うように兄弟で家を建てているが、社長が亡くなった知らせを聞いても何か手伝おうという素振りすら見せない険悪さ。
洗濯物を干しに出て目が合っても無視。
事務所は義父母の家と一体になっており、売却が決まれば仏壇を引っ越さないといけない。
仏壇は古く大きく、何世代も前からの位牌がぎっしりになっている。
恵美子さんの夫は長男だが娘は嫁ぎ、息子は結婚は難しい。
弟には立派な男子が4人もいる。
ここは、弟が継ぐのがベストだと思うが拒否。
恵美子さんにとって、全く知らない人たちの位牌を守ることはナンセンスに思えるが、1つの位牌に合わせにするにはお寺に100万円払わないといけない。
そんなお金はない。
仏壇を引っ越してくるにも弟たちは全く手伝わないので引っ越し業者に頼まないといけない。
いっそのこと、大きな家を売却して恵美子さんたちが引っ越すのもありだが、ここの土地は市街化調整区域で売却が難しい。
息子の暴力で破れ放題の障子を見ながら、毎日インシュリンを打つ恵美子さんの今後を思い、ため息が出そうになった。
苦境に立つ恵美子さんに対してわたしが出来ることがいくつかある。
携帯電話番号は交換した。
ショートメールを送ることは出来る。
だが、3日間考えて、こちらからはアクションを起こさず、今のままの距離を保つことにした。
わたしは夫が突然死して10ヶ月後に倒れて入院するほど大変だったが、本家からは助けどころか慰めの電話の1本もらってはいない。
本家分家の親戚関係は冠婚葬祭限定でそれも解消され、それ以上の人間関係は築かれていない。
葬儀にも四十九日の法要にも連絡が無いのがその証拠。
今回の訪問を最後に縁が切れてしまうと思う。
もらった以上に返し、わたしは義理を果たした。
義を見て為ざるは勇無きなり……。
わたしは「勇無き者」になる。
今の自分、人間関係を増やすのはストレスになっている。
母を見送り、やっと手に入れた自分の人生、この平穏はいつ突き崩されるか分からない。
わたしは自分で立ち上がった。
恵美子さんも、頑張ってほしい。
わたしは、勇無き自分を責めない。