予告編は見ていたので、
これは外せないと
池袋シネマ・ロサへ
 
劇場版 アナウンサーたちの戦争
 
 
ラジオ草創期の日本放送協会、
娯楽としてはもちろんのこと
日中戦争も始まる中で
放送の役割は少なくなかった
 
スポーツ中継で名を馳せた和田は
来るオリンピック中継を心待ちにしていたが
政治的な問題で日本は参加せず落胆していた
 
しかしいよいよ真珠湾攻撃により
世界の戦争へと突入していくと、
和田は国民を鼓舞する放送をして喝采を浴びる
 
真面目一方で面白みのないと言われた
若いアナウンサー館野も高揚し、
まるでイベントを盛り上げるように
それぞれが民衆を煽ることに血道を上げる
 
軍部ももちろん放送を武器と考え、
占領地である南方へも彼らを送り込み
偽情報で相手を撹乱したり情報戦を繰り広げる
 
それを成功させたアナウンサーは、
無血開城を果たしたような誇りを持つし
誰しもが自分の責務を信じていた
 
しかし戦局も悪化し始めると、
盲信していた彼らにも危機が迫る
 
いち早くそれを感じた和田は
学徒出陣の若者たちに取材して
自分の罪深さを知るのだった…
 
言葉を操る彼らには
自らを神とも考える誘惑が身近にある
新聞よりも瞬時に入ってくる生の声に
盛り上げる演出を加えれば鬼に金棒で
怖いものなしだ
 
今の時代に、SNSは言うに及ばずだが
言葉ほど軽く扱われながら、
言葉ほど人を傷つけるものはない
 
新約聖書のヨハネ伝の冒頭には、
 
初めに、ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
 
とあり、
ことば、というのはキリストのことだが
それほどに言葉は重く、神の象徴なのだ
 
玉砕、
という言葉に感動したものたち…
信じたものが崩れゆく中で
自らの発した言葉の責任を
彼らは重く自覚していく
 
その締めくくりも、
玉音放送という、言葉、だ
 
今、報道という場で
言葉を発している人々が
その責任を自覚しているか
 
アナウンサーが、
汗臭いとか私見を述べて解雇される時代、
報道人はどこを向いて生きているのか
 
言葉のあまりの軽さに呆然とする昨今、
せいぜい自分たちの祖父母の時代のこと、
なにを学び、なにを受け取り、
なにをつなぐのか、
平和ボケならそれを貫く覚悟があるのか
 
言葉をこうして
垂れ流している自分だけれど、
平和ボケは貫きたいと思ってるよ
 

 

 

 
 

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