好きなNBA選手紹介 ラリー・バード その2 | かつぼうさんのブログ

かつぼうさんのブログ

お騒がせレッズサポーター・かつぼうさんのブログです
レッズの事はもちろん、最近ハマっている音楽や我が家の飼い猫、
大好きな歴史の事等を「軽い暴言」を含めて(笑)書いていこうと
思っています。なにとぞ生暖かい目で見て下さい。

はい、ラリー・バード ( 以降「ラリー」と記載 ) の紹介記事の「その2」です。大学4年のNCAAトーナメント決勝からですね。頑張ります!爆  笑

 

ラリー率いるインディアナ州立大学シカモアズバスケ1979NCAAトーナメント決勝ドンッの相手は、ミシガン州立大学スパルタンズ。そして、その中心選手は本ブログでも紹介したPGの マジック・ジョンソン (以降「マジック」と記載) でした。

 

インディアナの田舎街出身の純朴な白人青年 と ミシガンの都会育ちの陽気な黒人青年 が、あまり強くない大学に入ってその大学をともにNCAAトーナメント決勝にまで導く。

 

マスコミにとっては、これ以上ないネタですよね。それまでのNCAAトーナメントは決勝でさえダイジェストテレビや結果本のみの報道が多かった中で、↑をネタにこの試合をマスコミは煽りに煽りドンッます。その結果、同試合は現在も破られていない最高視聴率を記録したそうです ( 何%なのかはどこにも載っていないので、本当なのかは分かりませんが ) 。

 

試合はラリーがスパルタンズの厳しいマークにあってシュートを21本中14本を外してしまい、シカモアズは64‐75で敗れてショボーンしまいます。そして、2人の戦いドンッはNBAに持ち越されます。マジックは、1979年NBAドラフトで、西の横綱と言えるLAレイカーズに指名されていたからです。

 

bs01

 

1979~80年シーズン、ラリーは前年レギュラーシーズン(以降「RS」と記載)で29回しか勝てなかったショボーン東の横綱ボストン・セルティックス ( 以降「セルツ」と記載 ) を、何と61回も勝たせ炎ました爆  笑。ルーキーながら何と全82試合に出場し、平均得点は21.3でリバウンドは10.4。ともに素晴らしい数字キラキラですが、注目すべきは3P成功率が40.6キラキラという事です。クラッチシューター(ここ一番!という時に決める、勝負強いシューターの意味)の片りん星が見えています。

 

ラリーはもちろん新人王まじかるクラウンを獲得爆  笑、ルーキーにしてオールNBAファーストチーム ( NBAのベスト5 ) に選出爆  笑されました。チームはプレーオフ(以降「PO」と記載)の地区決勝でドクターJことジュリアス・アーヴィング率いるフィラデルフィア76ERSに敗れましたが、その76ERSをファイナルで破ってNBA優勝を果たしたのは、マジックの在籍するLAレイカーズでした。マジックは1980NBAファイナルのMVP乙女のトキメキに選出されました。

 

翌1980~81年シーズン、セルツはドラフトでケヴィン・マクヘイル、トレードでロバート・パリッシュを獲得。ラリーを含めたこの3人は、後にフロントコート(攻撃陣)としてはNBA最強炎と呼ばれる事になります。

 

1980~81年シーズンのセルツのRSの勝ち数は62!当~然ですが、地区1位です。ラリーの個人成績は全82試合出場で平均得点21.2、リバウンド10.9とルーキーイヤーとほぼ変わらず。ただ、スティールとブロックショットが微増しています。フロントコートに有力な選手が入ったので、少々ディフェンシヴな役割もこなす様になったのでしょうか。オールNBAファーストチームにも2年連続で選出されています。面倒くさいので書きますが、オールNBA~には1988~89年シーズンまで選ばれ続けます。POでは、地区決勝で前年敗れた76ERS戦に ( 7戦目まで縺れましたが ) 勝利。ファイナルでも名選手/モーゼス・マローン率いるヒューストン・ロケッツに勝ちました!ラリーが遂に、念願の全米優勝まじかるクラウンを果たしたのです!クラッカー

 

ラリーのPOの個人成績は、全17試合出場で、平均得点21.9、リバウンドは脅威の14! アシストを6.1回決めています。大・大・大活躍ドンッですが、ファイナルMVPには選出されずびっくり。選出されたのは、チームメイトのセドリック・マックスウェルというベテランのFWの選手です。

 

1981~82年シーズンは、セルツはRSで63勝。1勝ずつ増えていくのがカワイイグリーンハーツですね(笑)。ラリーの個人成績は、77試合出場で平均得点は22.9、リバウンドは10.9。得点が微増していますかね。セルツは地区最高勝率でしたが、POでまた76ERSに敗れてしまいます。

 

1982~83年シーズンのセルツのRSは、少し成績を落として56勝。地区3位に落ちてしまいます。ラリーの個人成績は平均得点は23.6でリバウンドはちょうど11。セルツ加入以来、上がっていくのが凄いです。ですがPOでは、ミルウォーキー・バックスに敗れてしまいました。

 

そして、NBAファイナルでセルツレイカーズとの直接対決炎が叶った1983~84年シーズンが来ますが.....。それは次回です。今回も疲れました~(笑)。下は、これまでの逸話です。

 

 

・ラリーやマジックがNBA入りする以前は、NBAは薬物の横行などで人気は低迷していました。また、ヴェトナム戦争でアメリカ自体が疲弊していました。NBAのイメージアップとアメリカの活力注入に、2人の存在はうってつけだったのでしょう。2人の対決を煽りに煽ったそうですね。煽られた影響か、この2人はNBA加入後しばらくは、お互いをこころよく思っていなかったそうです。

 

・1980年NBAファイナルでレイカーズが優勝しマジック・ジョンソンがファイナルMVPに選出されましたが、それを見ていたラリーは「これで彼(マジック)に負けるのは2度目だ」と悔しがったそうです。ですが、マジックはマジックで、同年の新人賞を大差でラリーに取られたのが悔しくって悔しくってしょうがなかったそうです。