三國志って.....。 | かつぼうさんのブログ

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お騒がせレッズサポーター・かつぼうさんのブログです
レッズの事はもちろん、最近ハマっている音楽や我が家の飼い猫、
大好きな歴史の事等を「軽い暴言」を含めて(笑)書いていこうと
思っています。なにとぞ生暖かい目で見て下さい。

久しぶりの歴史談義です。忘れていた方も多いでしょうが(笑)。かつぼうさんは戦国時代もですが三國志も大好きです。

 

2010年くらいに中国の製作で 「 三國志 THE THREE KINGDOMS 」 という映画が上映されました。

 

その映画は見ていないですし見る気も無いのですが(笑)、英語のタイトルがちょっと違うのに、ついさっき気づきました。いや、どうでもいいっちゃいいんですがね。ま、このブログ自体、「どうでもいい性」が高いので(笑)。

 

三国の一国・魏の曹丕(かの曹操の息子)は、後漢から禅譲 ( 譲られる事 ) の手続きを経て皇帝となりました。ここで後漢は滅んだ訳です。

 

三國志演義なら主人公の国(笑)である蜀の劉備は 後漢 → 魏 に正式に譲られたとなると、自国の存在理由&魏を攻撃する理由が無くなります ( ← あまり注目されていませんが、これってかなり大きな問題だったみたいです ) 。そこで、蜀の首脳陣は考えましたねぇ。後漢の最後の皇帝である献帝が殺された!と、デマを流したそうです。で、劉備が皇帝になって後漢を継ぐと宣言、自国の正当性を主張しました。劉備の国は「蜀」というのが有名ですが、実際は「漢」と名乗っています。歴史家は同国を「季漢 ( 季は 「 末っ子 」 という意味らしい ) 」と呼んでいるそうです。

 

三国志2

 

三国志1

 

で、後に呉の孫権も皇帝を称しました。

 

正確に言うと、その時に「三国時代」が始まっています。ま、孫権が呉の皇帝になったのは西暦229年で、この頃には曹操や関羽、劉備等は既に亡くなってしまっていますがね。

 

で、この3つの国の国家元首は、王様ではなくいずれも 「 皇帝 」 です。

 

正確には、

 

THREE EMPERORS

 

なのではないでしょうか?

 

まぁここまで THREE KINGDOMS という名前が世に出回ってしまっています。各方面に

 

それは違うよ?

 

と言って回るほど暇ではありませんが。

 

なんとなく思ったので書いておきました。