先日、1981年NBAドラフトの記事を書きました。NBAドラフト最高の年はかつぼうさんは2003年だと思いますが、今回取り上げる1984年のNBAドラフトには、めっちゃ意外な話があります。
ずっと以前にうんちく本で読んだ事があり、基本その話がベースです。ですが、10年位前に聞いた話しを思い出したので、合わせ技(笑)で記事を書きます。コアなNBAファンなら知っているかもしれず、そんな方は生暖かく(笑)流して下さい。
1984年NBAドラフトの1位は、ヒューストン・ロケッツで大活躍したアキーム・オラジュワンです。本ブログでも紹介しています。センターなのに敏捷な動きをする等ゴール下を支配。NBA史上最高クラスの選手です。
2位は、サム・ブーイという選手です。ポートランド・トレイルブレイザーズに指名されましたが、ケガであまり活躍できませんでした。センターの選手で、身長はオラジュワンを同じ213cmだったかな。ケンタッキー大学時代に、モスクワオリンピック代表にも選ばれています。ご存じの通り、同オリンピックは西側諸国はボイコットしていますが。
で、3位が神様ジョーダンで、書くまでもありませんが指名したチームはシカゴ・ブルズです。
指名した時、シカゴのファンがめっちゃ沸き上がったと思うでしょ?ですが、
実はそんなでもない
んですよ。神様ジョーダンはノースカロライナ大学時代の活躍が有名でよく知られた選手ではありましたが、当時のバスケ界はまだまだ
選手は背が高くてナンボ
の競技でした。ブレイザーズは一度NBA優勝をした事がありますが、その時の主力選手は、ビル・ウォルトン。やはり背の高い選手(211cm)でした。ウォルトンは、「 史上最高の白人のセンターの選手 」 と言われています。
ですから、身長213㎝のオラジュワンとブーイが1位&2位だったのです。ともにセンターの選手です。神様ジョーダンは身長が198㎝で、ポジションはシューティングガード/スモールフォワードでした。
当時のシカゴの社長は、背の高い選手を指名できなかった&ドラフト後のトレードで背の高い選手を獲得できなかった事に対して、
地元シカゴの新聞の紙面上で謝罪をした
そうです。その後の神様ジョーダンの、まさに神がかった大活躍を見れば、謝罪する必要なんてこれっぽっちもありません。ですが、その頃にはまだわかりませんでしたからね。
それに、上記した様に大学時代の神様ジョーダンは良い選手だとは知られていましたが、
数字的には良いものを出していない
んですよ。確か、大学在籍3年で平均得点を20点越えているシーズンは無かったと記憶(←調べる気無しw)しています。これは、チームプレーを重視した、当時のノースカロライナ大学ターヒールズHC ( 名前は忘れた←調べろって! ) の方針でした。もしHCが神様ジョーダンにリミッターをかけていなかったら、「 ジョーダンの大学時代の平均得点は、40点を越えていた筈だよ 」 と誰かが ( ←ここまでくると、意地でも調ないw ) コメントしていたのも読みました。
そして、前述したブーイですが、ドラフト前の診断で大学時代に 「 ケガした所に痛みはあるか? 」 と聞かれて 「 痛くない 」 と嘘をついたそうです(この辺が、上に書いた「10年くらい前に聞いた話」です)。これも上位指名を受ける為で、聞かれれば誰もがそう答えたでしょう。ま、責められませんわな。
もし、ノースカロライナ大学のHCが神様ジョーダンに自由にプレーさせていたら、またブーイが嘘をついていなかったら?
その後のNBAは大きく変わっていた
でしょうね。
さて、その後の指名選手を見ていきましょうか。
ドラフト5位は本ブログでも紹介したチャールズ・バークレー、16位はやはり本ブログで紹介したジョン・ストックトンです。ともに初代ドリームチームでも活躍しています。
マイナーな所では、70位でボストン・セルティックスに指名された リック・カーライル ですかね。かつぼうさんが留学していた時が2年目で、パワーフォワードとしてセルティックスの為に頑張っていたのを覚えていますよ。
131位には、オスカー・シュミット。ドイツっぽい生でですが、ブラジル人です。ネッツが指名しており、NBAではプレーしませんでした。欧州や南米のリーグで取った生涯得点は、あのカリーム・アブドゥル=ジャヴァーを遥かにしのぐ49,703点(ジャヴァーは38,387点)です。
バスケに詳しくない方も含めて、一番凄いと思うであろう指名は、208位ですかね。誰だと思います?実は、あの
カール・ルイス
なんですよ。何と、ブルズが指名しています。入団してNBAでプレーできていたら、速攻の時にめっちゃ速かったでしょうね。