好きなNBA選手の紹介 スコッティ・ピッペン 後編 | かつぼうさんのブログ

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大好きな歴史の事等を「軽い暴言」を含めて(笑)書いていこうと
思っています。なにとぞ生暖かい目で見て下さい。

はい、ピッペンの後編です。ピッペンで前編&後編になるのですから、より思い入れが強い 神様ジョーダン や ラリー・バード は中編も入るかも?と思います。

 

さて、スコッティ・ピッペンについての後編、シカゴ・ブルズの2度目の3連覇チョキからです。

 

↑の画像、上がロケッツ時代、下がブレイザーズ時代です。背番号はともに33です。

 

その少し前、94年シーズンですが終盤に神様ジョーダンがチームに復帰するというニュースがあり、心が躍った爆  笑覚えがあります。ただ、プレーオフではカンファレンスセミファイナルで、奇しくも元チームメイトのホーレス・グラントが居たオーランド・マジック(アンファニー・ハーダウェイ、シャキール・オニールも在籍)に敗れてしまいました。これは、オーランドも強かったですが、バスケに復帰したばかりのジョーダンがミスを連発しショボーン精彩を欠いたというのが大きいです。

 

そのシーズンのオフに、バスケ感を取り戻したジョーダン爆  笑。95年シーズンにはブルズは快進撃を見せますが。グラントの移籍でPFの駒が減ってしまったチームは、かのデニス・ロッドマンを移籍補強。ジョーダンとピッペンも、かつて色々やり合った宿敵・ロドマンムキーをチームの為にと受け入れました。

 

言うまでもありませんが、この補強は大成功爆笑。ロッドマンはチーム戦術にすぐに馴染み、快進撃の立役者になります。移籍加入後しばらくは、ピッペンとロッドマンはプライベートでは話をしない等多少ギクシャクしていた様です。ですが、やはりチームメイトになった事で段々とね。ガンガンやり合ったのも、お互いのチームの勝利の為です。頭では理解してはいたのでしょうね。ですが、やはりロドマンが献身的なプレーをしたという事もあると思いますびっくり。実際ロッドマンはアウトオブバウンズになりそうなボールに文字通り飛びつき、味方にパス。自身は客席に頭から突っ込んでいくという、勇猛果敢なプレーを何度もしています。これを見て燃えない男の子はいませんメラメラからね。

 

ジョーダン・ピッペン・ロッドマンというリーグ屈指の強力トリオの大活躍もあり、72勝10敗という2015年まで破られなかった勝率でブルズはリーグを席捲。プレーオフではカンファレンスファイナルでオーランドに何と4勝0敗のスイープで借りを返し、ファイナルでもソニックスを4勝2敗で破りました。

 

96年シーズンもブルズは最高勝率となりNBA優勝もしましたが、この頃からピッペンとチームの確執が深まり、トレードを志願しては撤回というニュースが続きました。97年シーズン、神様ジョーダンのラストダンスでも同じです。ただ、ジョーダンが「ピッペンがいるなら」と言ったので、チーム残留したのでしょうね。

 

ブルズはその97年シーズンも優勝して2度目の3連覇を果たし、ジョーダンは(2度目の)引退。チーム再編により、ピッペンはヒューストン・ロケッツにトレードされます。ここでピッペンは年俸1000万ドルの選手となります。ロケッツでは、その前年に本ブログでも紹介したクライド・ドレクスラーが引退。アキーム・オラジュワン、チャールズ・バークレーとともにビッグ3ウインクを形成。ロケッツは優勝候補になりますが.....。オラジュワンとバークレーがケガがちになってしまい、チームは本来の実力を発揮できませんでした。プレーオフ緒戦で、シャックが加入したレイカーズに敗退しました。結局ピッペンは1年しかロケッツに在籍せず。次はポートランド・トレイルブレイザーズに移籍します。この頃、このままジャーニーマンになってしまうのか?と心配した覚えショボーンがあります。

 

ですが、この移籍が大正解。ピッペンはチームで唯一NBA優勝を知る男ニコニコとして、抜群のリーダーシップキラキラを発揮。若いチームを引っ張り続けますメラメラ若手に自ら歩み寄り、熱心にアドバイスをするピッペンの姿が度々見られました。1999年のプレーオフでは、カンファレンス決勝で再びレイカーズと対戦、相手のHCフィル・ジャクソンの指導がいまいち浸透していないと感じたピッペンは、相手のパスを次々とスティール。最終的に敗れますが、レイカーズをあと一歩のところまで追い詰め炎ます。この試合は、かつぼうさんもBSで見ていました。はじめはコービー&シャック目当てで見ていましたが、闘志が溢れるプレーを見せるピッペンのカッコよさチョキに段々と思い入れが出てきました。ただでさえ、ピッペンは好きな選手でしたからね。で、試合が進むにつれて徐々にブレイザーズファンになっていったのを覚えています。

 

ブレイザーズでは、3シーズン戦い退団。最後は元チームメイト・ジョン・パクソンがGMとなった古巣・シカゴ・ブルズで引退しました。

 

 

逸話です。

 

・初代ドリームチームに選ばれましたが、この頃「ブルズの選手だから(ジョーダンの同僚だから)選ばれた」という陰口が結構あったそうです。

 

・小さい頃貧しかったのに、お金持ちになったからですかね?バスケ以外の私生活はダメダメだったそうです。

 

・大学時代に急に身長が伸びた事で、皆から「あれ、誰?」と言われたそうです。

 

・1987年NBAドラフトで指名された時、NCAAの大学出身ではなかった事で当時ピッペンを知る人はほとんどおらず、皆から「あれ、誰?」と言われたそうです。

 

・かなりヤンチャだったそうで、ブルズに入団した時スタッフは基本的な躾をしたそうです。

 

・ポジションはスモールフォワードで、ここではシュートが上手い選手が多いですが....。ミドル/ロングシュートは苦手だった印象があります。フリースローは、特に苦手だったのではと思います。その反面、レイアップはきれいしでたね。元ガードだったからか速攻の先頭を走っている姿が印象強く、「よく走るフォワードだなぁ」と思った覚えもあります。

 

・事実上「トライアングルオフェンス」を考え出した、テックス・ウィンターというブルズのACのピッペン評です。「ピッペンはジョーダンができる事は何でもできる。そして、ピッペンはジョーダンよりも背が高い。」です。テックスは、ジョーダンよりもピッペンを評価していたのでしょうかね?

 

・オールラウンダーという事でどこでも出来ましたが、レインビアーやロドマン(共に元ピストンズ)と対戦した時はグイグイと押されて窮屈そうにプレーしていました。フィジカル戦を挑まれると苦戦していた様です。ちなみに、かつぼうさんはあまり知らないのですが、レブロン・ジェームスは「究極のオールラウンダー」と言われている様ですが、ピッペン自身「レブロンが出る前は俺だったよ」と言っている様です。

 

・神様ジョーダン、ロッドマンとのトリオは、「レッド・アサルト」と言われていました。カッコ良いですね。

 

・ロッドマンに突き飛ばされて縫ったほどの怪我をしたのは、顎。髭を剃る度に、ロッドマンを思いだしたそうです。ただ、後にロッドマンを「優秀なディフェンダーとリバウンダー」とコメントした様で、認めてはいた様です。

 

・ただ、ピッペン自身も優秀なディフェンダーです。ブルズの2度目の3連覇時にプレーオフ等重要な試合で研ぎ澄まされるDFは、「ワンマン・レスキュー」と呼ばれていました。

 

・日本の車、デミオのCMに出ています。その後に飲酒運転で逮捕されたニュースが出たのには、ある意味ピッペンらしいなぁと苦笑してしまいました。その時はフォード(マツダの親会社)に謝りに行ったそうです。

 

・殿堂入りのセレモニーの時に、その会場に来られなかったチャールズ・バークレーがテレビ出演したそうです。会場からブーイングが出たそうですが、バークレーはそれには構わず「会場にマイケル(ジョーダン)はいるんだろ?ピッペンにはちゃんとお礼を言えよ?お前はピッペン無しには優勝できなかったんだからな?」とバークレー節を披露したそうです。って、これってピッペンの逸話じゃない?

 

・前編に書いたピッペンとトレードされた「オルデン・ポリニス」ですが.....。名前はピッペンとトレードされた事で知っている人が多い様ですが、実際のプレーを覚えている人って、当時のNBAをよーく見ていた人+ソニックスの熱烈なファンでしょうね。え?かつぼうさんはって?もちろん、全く覚えていませんよ(笑)。あれ?これもピッペンの逸話じゃないな(笑)。

 

・よく、「ピッペンはジョーダンがいたから優勝できた」と言われているそうですが、これは逆もまた然り。「ジョーダンはピッペンがいたから優勝できた」とも言えます。ブルズが優勝したのはピッペン加入後な訳で、加入以前はジョーダンがいたにも関わらずプレーオフ進出がやっとでしたから。そういった意味では、ピッペンは「史上最高のNo.2」の選手だったと思います。ま、ジョーダンもそれをわかっていたので、仲が良かったのでしょうがね。

 

・「第二のマイケル・ジョーダンを探すのは難しいけど、第二のスコッティ・ピッペンを探すのはもっと難しい」と言った人もいるのだとか。同意します、名言です。

 

ブレイザーズで見せた強烈なリーダーシップをブルズでも出していれば良かったと思いますが、さすがにチームメイトに神様がいてはね.....。良くも悪くもジョーダンの陰に隠れたって印象がありますが、ピッペンが偉大な選手だった事は間違いありません。