神輿が歩いた | かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

今日のスケッチ。

21世紀の森。

 

 

大河ドラマなどの歴史物で、間抜けな武将として描かれる気の毒な男が、室町幕府の最後の将軍足利義昭だ。

 

義昭は、兄の将軍足利義輝が、赤松氏に襲撃されて殺された後、織田信長に擁立されて将軍になった。

 

本来なら、赤松に殺されていたか、一生、元の坊さんのままでいたかだったが、信長に支えられて将軍になったから、運のいい男だ。

 

東映のヤクザ映画、仁義なき戦いで、組の若頭松方弘樹が、親分の金子信雄に言うセリフがある。

「あんたぁ最初からワシらが担いどる神輿じゃないの。

神輿が勝手に歩ける言うんなら歩いてみないや、おぉ」

 

義昭が間が抜けていると言われるのは、自分が神輿だときづかなかった点にある。

あるいは神輿であるのに、自分で歩きたかったのだ。

 

義昭は、信長に内緒で、各地の有力大名に将軍の名で、上洛して信長を討つように命ずる文書を出している。

 

信長はその事を知っていたが,義昭を殺さなかった。

将軍の権威に利用価値があるからだ。

 

信長が石山寺との戦いでピンチになると、義昭に和解命令を出さして、石山寺と休戦している。

 

しかし義昭の文書作戦が功を奏して、甲斐の武田信玄が京を目指して出軍した。

 

今だとばかり、義昭は信長に反旗を翻した。

ところが、肝心の信玄が病気で死んでしまう。

 

城を攻められた義昭は、子供を人質に差し出して、命だけは助けられた。

 

私は、なぜこの時に、日本人離れの残虐な信長が、義昭を殺さなかったか不思議である。

 

私は、明智光秀が本能寺に信長を襲ったのは、義昭の策略があったと思う。

明智は元々は、義昭の家来だったのだ。

 

それが事実なら、間抜けとされた義昭はなかなかの策略家だった。