今日の絵はがき。
松田聖子。
人物画、顔の影や血色を出すのが難しい。
大きな紙に描いてみたが、やはり似ていないし、影が変だ。
髪の毛を黑で塗ってはいけないな。
背景色も必要だ。
明日から当分、人物画のお勉強。
酒癖の悪い人がいる。
そういう人は、酒がやめられない。
酒癖の悪さにも種類がある。
俳人の尾崎放哉は、酒で落ちぶれていく。
放哉は酒乱タイプだ。
酒が入ると目が座り、相手をねめつける。
口の端が歪んで、いきなり怒鳴りつける。
放哉は東大法学部卒のエリートだったが、酒で身を持ち崩し、小豆島で寺の堂守をするまで落ちぶれた。
ある人の文章を読んで、戦後にも放哉のような生き方になった俳人がいた事を知った。
「俳人風狂列伝」
石川桂郎著。
その男は、
田尻徳次郎。
田尻は、横浜国大工業科をトップで卒業した秀才だったが、人付き合いの苦手な性格だった。
そのために仕事を転々として、次第に仕事場所がなくなっていく。
そして、田尻の酒乱ぶりもそれに拍車をかけた。
その間に俳句を始めたようで、ある仕事場で、石川桂郎とも知り合った。
ある時、農協で米軍から支給されたうどん粉などを倉庫に運ぶ筋肉労働についていた。
米軍人と農協組合長と片言の英語で取引の話がうまく通じず互いに困り果てていた。
見かねた田尻が、米軍人に流暢な英語で通訳してあげた、
それからは、田尻が米軍との交渉や事務を一手に引き受けるようになった。
組合長から信頼された田尻は、銀行から組合職員の給料を引出して、給料を支払う仕事もまかされた。
ある時、銀行からおろした金を持ったまま、居酒屋に入った。
1杯か2杯ひっかけて組合にかえるつもりだったが、2杯が3杯4杯となり、ついには自分の金と組合の金の区別がつかなくなるまで酔ってしまう。
酔から覚めた田尻は、自分が何をしでかしたか分かったが、今さら農協に帰れるはずもなく、そのまま姿を隠した。
1年後、田尻は自首して、何年かの刑務所ぐらしとなる。
出所後は、石川の世話で俳句雑誌の出版社に勤務するが、やはり人付合いに失敗して、最後には鳩の町のバタヤ集落に落ち着く。
この時に読んだ句。
拾い来し いも洗う背に花火の音
田尻は昭和29年に消息を絶ち、昭和39年に喉頭がんで死んだ。
田尻徳次郎の事は、ネットで検索しても出てこない。
今では田尻徳次郎の事を知る人もなくなったのだろう。
痛ましいことだ。
私が覚えている、名もない日雇いの句。
天の川 俺 公園の水を飲む
若い時、誰かのエッセイを読んだら、この句があった。