赤穂浪士の吉良邸討ち入りの当時、尾張藩士のお畳奉行、朝日文左衛門の日記を読むと、
討ち入りニュースを聞いた尾張藩領内では、たいした評判にもならなかったようだ。
遠い江戸の出来事だという感想だ。
赤穂浪士の話が有名になったのは、歌舞伎などになってからではなかろうか。
江戸時代だから、幕府をはばかって、時代を鎌倉時代にして、吉良を高師直、浅野内匠頭を塩冶判官に直して芝居にした。
高師直は、前々から悪役だった。
太平記の高師直の悪い逸話も付け加えて、仮名手本忠臣蔵は出来上がった。
現代でも、忠臣蔵映画では吉良は悪役専門の俳優が演じる。
一方の浅野内匠頭の役は、その当時の二枚目スターと決まっている。
今日の絵ハガキ。
歌舞伎の場面。
炭小屋に隠れていた高師直が、引きずり出されたところ。歌舞伎の錦絵を模写。
歌川広重の絵。
高師直が塩冶判官の妻、顔世御前の入浴場面を覗くところ。
月岡芳年の絵を模写。
私は誰かに、仮名手本忠臣蔵の筋書きを大幅に変えてもらいたいと思う。
顔世御前が絶世の美女なら、高師直が老いらくの恋に落ちても仕方ないではないか。
若い人の恋より、純粋かもしれない。
たまたま相手が人妻だっただけだ。
高師直が塩冶判官に辛く当たるのも、顔世だけの理由ではなく、判官さんがあまりに気のつかない事にあったかもしれない。
江戸時代当時、権力者が袖の下を要求するのが当たり前だった。
浅野の殿様が気がきかないなら、それを大石などの家老などが補佐しなければならない。
私が塩冶判官だったら、顔世に因果を含めて、権力者の高師直のもとに行かせるだろう。
それで万事うまくいくなら、貞操など関係ない。
塩冶判官のように、短気で単純な若者より、高師直のような頼りがいのある男になびいた方が、顔世さんも幸せになれるかもしれない。
私の友人の末井昭さんが書いていた。
男は、女を愛して、女は男から愛されて幸せになれる。
危険をおかして、恥を偲んでも、顔世の裸を見たいというおじさんが、かわいいし純粋ではないか。
映画では、浅野内匠頭を関西のお笑い芸人、吉良を草刈正雄が演じたら、忠臣蔵のイメージが変わるかもしれない。
これはテレビではあるが、ビートタケシが大石内蔵助を演じた。
主君の仇討ちより。失業した武士たちを救うためにお家再興のために苦労して、討ち入りの後も助命に期待していた人間臭い大石だった。