今日のスケッチ。
東海道五十三次、関宿。
色は明日。
私は恋愛映画はめったに見ない。
世の中には、恋愛、悲恋の映画小説漫画が溢れすぎている。
恋愛映画は名作だといわれる映画も、私は馬鹿らしさに笑ってしまう。
しかし、今日紹介するナチス看守の物語には感動した。
レズビアンで残虐なナチスの女看守アンネリーゼ・コールマン。
コールマンはナチスの主張に共鳴してナチス党員となる。
しかし、ナチスの女性観は、結婚して優秀な子供を育てることである。
ドイツ社会では同性愛は犯罪とされるのだが、コールマンは自分がレズビアンだと気づいてしまった。
路面電車の車掌として働いていたが、1944年11月に、親衛隊女子軍属として招集を受け、強制収容所看守として勤務することになる。
強制収容所で、清掃作業に従事するユダヤ人女性の監督に従事した。
彼女は「規則違反」を口実に、女性収容者を頻繁に殴りつけていて、残虐性で恐れられていた。
コールマンは労働班に所属するチェコ人女性収容者ロッテ・ヴィンターと親密になり、やがて恋に落ちた。
少なくともコールマンは、2人が本当に恋愛関係にあると信じていた。
しかし、看守だけではなく、少なからぬ収容者が彼女らのような同性愛者への嫌悪と軽蔑を隠さなかった。
1945年4月コールマンのいた収容所が閉鎖され、コールマンはロッテ達とは別の収容所に行くことになった。
コールマンは1945年4に、ロッテのいる収容所へ潜入した。
彼女は収容者と同じ囚人服を着用して収容者に紛れ込み、ロッテと同じブロックで共に過ごすようになった。
その数日後、その収容所はイギリス陸軍によって解放された。
その直後、彼女の正体を知る収容者によって告発され、コールマンは逮捕された。
1946年5月に2年間の懲役を言い渡された。
その後、囚人になるという危険をおかしてまで会ったロッテとの関係はどうなったか。
おそらく、ロッテの方は身の安全のために、コールマンと付き合っただけだったのだろう。
釈放後は故郷ハンブルクで暮らした。しばらくは売春婦として生計を立てていたが、その後トラック運転手としての職を得た。
イスラエルの劇作家ジョナサン・カルデロンは、コールマンとロッテの恋愛を舞台劇にしている。
日本では江戸時代、男色が流行り衆道物語も書かれた。
日本は男色には鷹揚な社会だったが、レスビアンについては分からない。
しかし、私の推定。
当時、今のいわゆる大人のおもちゃを売る店があった。そのおもちゃには、女性同士が愛し合うための道具もあった。女性の地位が低かった当時、女性は家に閉じこもり、出会う機会が少なかった。
しかし、大奥や大店、色街で働く女性達で、同性愛者は、秘かに愛しあっていて、公にならなかっただけだと思う。