今日のスケッチ。
浅間峠。
相撲好きの人で、モンゴルから来た力士は嫌いだという人が多い。
モンゴル人の力士は、すぐに日本に溶け込み、インタビューで話す日本語を聞くと、他の日本人と変わらない。
それにモンゴルには、日本の相撲に似た モンゴル相撲があり、技などに共通点がある。
土俵が無いなど日本の相撲との違いもあるが、一番の違いは日本の相撲は神事、モンゴル相撲は格闘技であることだ。
モンゴル相撲では勝負のはじめは両者ともに大きく手を広げて「鷹」を表現し、勝敗の後、勝利した者が「鷹の舞」を踊り、負けた者はその手の下をくぐって負けを認める。
格闘技であるからは、勝者はそれを誇る。
ボクシングで勝者が飛び上がったり、手を振って観客に勝ちをアピールするのと同じだ。
モンゴル人の相撲取が、つい、勝ち誇るような仕草や態度をしてしまうのは無理がない。
それが、日本の相撲を見慣れた人には気になるのだと思う。
昔、千代の冨士が、寺尾という小兵の力士を土俵に叩きつけた一番を見たことがある。
叩きつけるというのは、力の差がなければ出来ない、
また、それほど差があるなら、叩きつける必要もない。
相手が死に体になって、勝負がついているのに叩きつけた。
何か千代の冨士の嫌な面を見た気がした。
横綱の品格と云われるが
難しい。
強いだけではなく、相撲の道を極めるという意味だろうと思う。
日本人は道という言葉が好きだ。
外国からきた野球やプロレスにも、野球道やプロレス道という言葉を使い、日本独自のものになる。
世間の常識に欠けても、道を極めた者には品格があるという観念がありそうだ。
税理士会の研修で、野球の広岡監督の講演があった。
西武の監督をしていた頃だ。
なぜ、税理士が野球監督の話を有難がるか。
広岡監督は西武を強いチームに作り替えた。
野球道を極めた達人は、どの世界にも通用するという考えがある。
川上哲治が現役時代、「ボールが止まって見える」と言ったが、日本人には精神論だと分かる。
しかし、外国人にはホラ吹きと思われるが、日本人にはさすがに達人は違うと感心されるのだ。