雑誌の付録の幻灯機 | かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

今日のスケッチ。

鐘ヶ嶽の分岐から東京の街。

絵ハガキ、鐘ヶ嶽。

日本に幻灯機が知られるようになったのは18世紀と言われ]、たとえば1779年(安永8年)に刊行された手品の解説書『天狗通』には「影絵眼鏡」の名称で幻灯機が紹介されている。

 

 

幻灯の流行がピークを迎えたのは、明治20年代末から30年代末にかけての、日清・日露戦争を前後する約10年間。

 

とりわけ日清戦争下においては、戦況を伝える報道性の強い幻灯会が多く行われ、国威発揚を促す戦争プロパガンダとして、のちのニュース映画のような効果を上げてたらしい。

明治28年に発表された樋口一葉の小説「たけくらべ」には、主人公の子どもたちが仲間を集めて内輪の幻灯会を開こうとする様子が、日常的な遊びとして描かれていた。

 

 

それを読んで思い出したこと。

 

私が小学2年生の時に、学校から帰ったら、小学館の学年別雑誌、「小学2年生」が届いている。

 

その付録が、紙工作組み立て式の、幻灯機だった。

 

 

指図書通りに紙を切り離し組み立てれば、幻灯機ができる。

 

幻灯機の画面は、画面の周りが丸く黒ずんでぼやけている、その感じが私には文字通り、幻の世界のような不思議な世界に思えた。

 

 

幻燈で映すフイルムが、「たんてい団ちゃん」の漫画。

これから毎晩、ダンちゃんの漫画を見られる、自分の人生が変わる。

 

そういう意気込みで、すぐに作り始めて、完成したのが夕方。

 

後は電燈を下におろして幻灯機の中に引きこめばいい。

 

しかし椅子の上に上っても、電燈まで届かない。

 

 

親に怒られながら、電燈を下ろしてもらい、幻灯機の中に置いた。

 

説明書によれば、これで襖に探偵ダンちゃんが映るはずだ。

 

しかし、白いものがぼんやり映るだけ。

 

つくる段階で、何か手違いがあったらしい。

 

手順書を読みながら再度組み立て直すが、やはり映らない。


 

晩御飯も食べないで頑張っていたら、母に怒られて、とうとうあきらめた。

 

あの時ほど悔しい思いをしたことはない。

 

その時の歯がゆさを、最近思い出す出来事があった。

 

そのことはそのうち。