荷風さんへの離縁状 | かもさんの山歩き

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今日の絵ハガキ。

 

スペインの島。

 

 

永井荷風さんは、多くの娼婦芸者と関係したが、1度だけ良家のお嬢さんと結婚したことがある。

 

実業家だった父親の勧めるままに、材木商の娘と結婚した。

 

しかし、父親が亡くなると、すぐにこの結婚を解消した。

 

そして、自分の馴染みだった芸者、八重次を家に入れ2度目の結婚をする。

 

しかし、最愛の女性と結婚しても、荷風さんの放蕩が止むわけがない。

 

放蕩生活が荷風さんの生き方だったし、荷風さんの小説作りの源泉だった。

 

 

 

 半年後に八重次さんは、離縁状を残して家出する。

 

 

「あなた様はまるで私を二足三文にふみくだしどこのかぼちや娘か大根女郎でもひろつて来たやうに御飯さえたべさせておけばいい夜の事は売色にかぎる夫がいやなら三年でも四年でもがまんしてゐるがよい夫は勝手だ女房は下女と同じでよい「ドレイ」である外へ出たがるはぜいたくだとあたまつから仰せなされ候」

 

 

 

 

荷風さんは未練たらたらで、媒酌人の二世・市川左団次らに仲介の労をとってもらったが、効果はなかった。

 

約二週間後に、荷風さんは、しぶしぶ別れの手紙を出した。

 

 

その後は、妻も子ももたず、生涯単身者として、自由気ままに商売女の娼婦、芸妓、女給らとの女性遍歴を重ね、父母の葬式にも出ず、家族、兄弟とも絶縁した放蕩生活を送った。

 

 

 

ところで、別れた八重次さんであるが、この人、才能のあった人で日本舞踏の新舞踏を開拓して、藤蔭静樹(ふじかけせいじゅ)と名乗った。

 

別れてもお互いのことは気にしていたようで、荷風さんの日記に八重次さんの男遍歴が書いてあったし、歌人でもあった八重次さんも、荷風さんとのことを書いている。

 

ところで、荷風さんは。関東大震災後開業したカフェータイガーに通いつめたが、今日の動画にその当時のタイガーが出てくる。

 

美しい女給と濃厚なサービスが売り物で、なかには品行の悪い女給もいたらしいから、荷風さん好みだっただろう。