今日のスケッチ・
剱岳を眼前に。
立山別山。
私が好きだったのは、いわゆる、ゆかい漫画。
ワチサンペイのナガシマ君。
板井れんたろうのポテト大将。
ムロタニツネ象のわんぱくター坊
そのうち、赤塚不二夫は少年サンダーおそ松君で過激なギャグ漫画を描き始め、ま森田拳次が、少年マガジンで「丸出だめお」で人気作家となった。
私はギャグ漫画の2大巨匠が赤塚不二夫と森田拳次だと思っていた。
その森田が突然日本の連載を打ち切って、米国に渡った。
1970年のことだ。
星新一による欧米の一コマ漫画の選集『進化した猿たち』に感化され、アメリカで自分の能力を試したくなったらしい。
日本ではアメリカほどに一コマ漫画の数が多くないのは、たぶんそれは文化の違いだろう。
向こうのジョークと日本の落し噺の違いだろうか。
任期絶頂の時に、日本のファンをおいてアメリカに出かける必要があるのか、時折目にするアメリカの漫画はおもしろくないではないかと、生意気にも私は思ったものだ。
今思うと、森田のギャグの発想と一コマのギャグの発想とは似ていて、そのためにアメリカに一コママンガの修行に出たつもりだったかもしれない。
実際、森田の一コマ漫画は、阿時折大手の雑誌に採用されることはあっても、食べていけるほど活躍はできなかったようだ、
帰国してからも一コマ漫画を描いているが、日本で一コマ漫画は、新聞の政治欄でしか見かけない、
日本で一コマ漫画が普及しないのは、原稿料の安さが影響しているかもしれない。
ストーリー漫画16ページと一コマ漫画の一コマの原稿料が同じだと思える編集者は、日本にはいないだろうな。
次の一コマが森田さんの作品だが。
日本で一コマ漫画といえば森田拳次が第一人者だろうが、あの時、森田が日本にとどまって、連載を続けていたらどうだっただろう。
赤塚の漫画が進化、過激になっていったように、森田も新しい笑いを作っていったのではなかろうか。
森田さんは、17歳で単行本デビューしているが、私は曙出版の「探偵」という貸本雑誌を持っている。
貸本雑誌には珍しく奥付に発行年月日がある。
昭和34年、
「異色探偵スリラー 紅の波止場」
森田繁作。
この森田繁が、後の森田拳次のことで、18歳の時の作品である。
絵も稚拙だし、ストーリー展開も変なところがあるが、まだ18歳である。
スケッチ。
もう一枚。
初夏の槍沢。