つげ義春が1987年に発表いた「海へ」
この漫画には、家船に住んでいるキヨという女工が出てくる。
この作品は、つげの少年工員時代の回想であるから、朝鮮戦争の頃だろう。
詩人の山之口 貘(やまのくち ばく)が、隅田川で、ダルマ船の船頭さんの助手みたいになって、鉄屑の運搬を手伝ひながら水上で暮したときのことを書いた随筆を読んだことがある。
山之口さんが船に乗ったのは、関東大震災の後だ。
東京は水の都であり、河川や運河を利用いて、種々の運搬船が荷物を載せて往来した。
彼ら、水上生活者の家は船で、洗濯も炊事も子供の遊び場も船だった。
そこで、水上生活者の子共のため、月島に寄宿舎制の水上小学校ができた。
生徒がもっとも多かったのは昭和30年。
月島と深川の寄宿舎には250人が暮らした。
週末になると学校の船で自宅の船に送ってもらった。
その時の写真をスケッチした。
船で暮らす子は、バランス感覚に優れていたそうだ。
東京五輪に向けて、都市整備が進み、輸送もトラックの時代になると、水上生活も一変し、
昭和40年水上生活を禁止する法律が公布されて、水上小学校も終止符を打った。
昔、インド洋沖で暮らすモーケン族のドキュメント映像を見たことがある、
一年中、船の上で生活する民族で、素潜りで魚を取って生計をたてていた。
しかし彼らも貨幣経済に組み込まれ、近代的漁船団に漁場を奪われ、タイ政府の定着化方針で、陸地に定住するようになったようだ。
去年のスケッチ。
尾瀬悪沢から笠ヶ岳。