馬方さん | かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

こんな夢を見た。
 
私は古老の昔話を聞いている、
 
そのお爺さんは大月に住んでいて、若い頃は荷馬車引きをしていた。
 
 
木材や野菜などを東京まで運ぶ。
 
時には人も運んだ。
 
帰りには、上野原の居酒屋で飲む。
 
酔いつぶれて荷台で寝る時もある。
 
 
そういう時は、馬はとことこ、荷車を引いて自分の小屋まで帰る。
 
 
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ある時、幼馴染の女とその母親を乗せた。
 
これから、娘は東京に女中奉公に出るらしい
 
しかし、荷馬車引きは、その女が借金返済と口減らしのために吉原に行くことを知っている。
 
そこで、母親に娘を売るぐらいなら俺にくれと頼む。
 
その娘が今、お茶を持ってきてくれたお婆さんである。
 
ここで目が覚めた。
 
寒さで目が覚めたようだ。
 
馬車ではないが、8年ほど前に牛車の初荷の絵を描いていた。
 
 
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私の故郷、都城は木材の町だった。
 
幼い頃、荷馬車で製材所に木を運んでいるのを見た。
 
それが小学校を卒業するころは、荷馬車は珍しいものになっていた。
 
入学が昭和33年卒業が昭和39年、高度経済成長期の真っただ中である。
 
 
この夢、三浦哲郎の短編小説「ガタクリ馬車」のイメージだ。
 
 
上原謙主演の映画、「ありがとうさん」も入っているな。
 
 
伊豆地方のバス運転手が上原謙。

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道を譲ってくれた人々に「ありがとう」と声を掛けることから、「ありがとうさん」と呼ばれて親しまれているバス運転手。
 
そんな彼のバスに、貧しさから東京に売られていく娘とその母親らが乗り込んでくる。
 
その映画の要素も交じりこんだ夢の気がする。


 
 
私は幼い頃からナマケモノだった。
 
父から、勉強しなければ荷馬車ひきのオジサンに弟子入りして、馬車引きにでもなれと怒られた。
 
 
私は、漫画家になれず、相撲取りにもなれなかったら、馬車引きになりたいと思っていたので、やはり勉強しなかった。
 
 
家は大衆食堂で、製材所に木材をはこんできた馬方さんは、うちの食堂でうどんを食べ、焼酎を飲んで帰った。
 
へべれけに酔って帰る人もいて、子供には呑気な商売に思えたのだ。
 
今日の絵手紙。
一休みするコサギ。

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