かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

今日のはがき絵。

カルタゴの象軍団。

 

子供の時に漫画雑誌(雑誌名は覚えていない)のグラビア特集に象に乗った兵士たちが、雪のアルプスを越える場面の挿絵が載っていた。

 

読んでみるとカルタゴのハンニバル将軍が、アルプスを越えてイタリアに侵入したとある。

 

ハンニバルは若かったが、軍事の天才で、それまで無敵のローマ軍団を叩き潰した。

 

カルタゴはアフリカ北部の小さな岬にフェニキア人が建てた植民都市で、強力な海軍力を武器に巨大な貿易国家だった。

 

カルタゴとローマは地中海の覇権をめぐって、何度も衝突したが結局カルタゴは敗れた。

 

25歳のハンニバルが将軍になると、復讐戦を開始したが、敵のローマは前の戦いで制海権を取り戻していたので安心していた。

 

ところがハンニバルは意表をついて、スペインから陸伝いにローマを目指した。

そして、不可能と思われていた雪のアルプス山脈を越えて攻め行ったのだ。

そして北アルプス各地でローマ軍相手に連戦連勝だった。

 

するとローマは敵の本拠地カルタゴへの遠征を計画する。

焦ったカルタゴはハンニバルをイタリアから呼び戻した。

 

これでローマは助かった。

 

結局カルタゴは負けて、海外領土をすべて失い、ハンニバルは亡命し,小国を転々とするが最後は服毒自殺した。

 

私は中学2年生まで劣等生だった。

特に数学、英語の時間は嫌で嫌で、学校を抜け出したかった。

 

ところが、歴史だけは、勉強もしないのに成績は良かった。

最高点を何度も取っている。

 

それは、勉強はしなかったが、歴史の授業だけは、興味を持って、熱心にきいていたせいだし、興味を持ったのは、雑誌に次のような歴史のグラビヤ読み物があったおかげだ。

 

 

 

今は漫画日本史、漫画経済入門、漫画でわかる数学、などの漫画があるが、これらを読んで、もし興味をもったら、それぞれの分野の入門書として有益なのではないか。

 

今日のスケッチ。飯能の絹甚。色は明日。

 

 

 

 

 

今日のスケッチ。

タイの鉄道駅。

 

 

一つ目小僧は、落語によく出てくる。一眼国というのもある。

 

1つ目小僧の正体は、山から降りてくる山の神や天狗の類、あるいは古くは製鉄技術者への畏怖が形を変えたものと言われている。

 

 

 

一つ目小僧は日本の妖怪だが、ギリシャ神話にも単眼の巨人が登場する。

 

実際に単眼の奇形の子が産まれる時がある。

 

 

(単眼症(サイクロピア)は、顔面中央に眼が1つしか形成されない非常に稀な先天性奇形です。脳が左右に分離しない「全前脳胞症」の重症型であり、鼻の形成不全を伴うことが多く、ほとんどが死産か出生直後に死亡します)

 

しかし、脊椎動物の祖先は単眼だったという説がある。

 

(すべての脊椎動物の祖先が、たった1つの「単眼」だけを持つ、ギリシャ神話のサイクロプスのような姿をしていた時代があったのではないか──という以前から断片的に唱えられてきた仮説が、最新の遺伝子データと化石記録を束ね合わせる形で、これまでで最も具体的な物語として描き直されました。)

 

描き出された物語によると、その時代の祖先たちは元々の2つの目を失っただけでなく、自由に動き回る生活すら手放して、その場でじっとプランクトンを濾過しながら食べる、退化したかのような状態だった、

その後、脊椎動物の祖先は再び活発に動き回るようになり2つの目を獲得しますが、この単眼化の影響により脊椎動物の目は、単眼化しなかったタコやイカ、昆虫の系統とは根本的に異なるものに変化した可能性がある。

 

そしてこの単眼化の名残は、今も私たちの目と脳の中に残っていると考えられるそうだ。

 

どう残っているのか、長くなるのでそれはそのうち書く。

 

ただ、一つ目の怪物と、我々脊椎動物の先祖が、単眼の時期があった事を書きたかった。

 

 

 

 

 

今日のスケッチ。

タイの鉄道。

 

色は明日。

 

 

年寄が一番してはいけないこと。

 

自分の経験に重きを置きすぎて、若者をみくだすこと。

 

落選した中道の小沢一郎さんが、中道の党首になった小川さんに対する言葉遣い。

 

小沢一郎が率いるグループの会合に出席した小沢さんは、衆院選大敗後に就任した小川代表について、「小川君は良い子だし、能力があると思う」と評価した。

 

評価する前に、一党の代表に「いい子」と言うのはマズイだろう。

 

小沢さんは剛腕だと言われる、いや、過去には言われた事があるが、私は剛腕というより傲慢なだけだと思っていた。

 

剛腕に見えるのは、他人に対して配慮しないから、強引に事を進められた。

 

配慮がないから、嫌われて結局、みんなが離れる。 

 

政治家は結果責任だから、壊すだけ壊して何もなし得なかった政治家、政治家として無能な政治家として、後世に語り継がれるだろう。     

 

しかし、一つだけ賢明な決断をした。

 

1991年、海部首相が辞任したとき、後継首相に自民党内で一致して推されたのを断った。当時49歳で党内の実権を握っていた。

 

たぶんあの時に総理大臣になっていたとしても、自分が引きずり落とした海部首相に代わり、政治改革にとりくみざるを得ず、派閥争いで、短命に終わっただろう。

 

若かったから、まだ何度でもチャンスはあると思ったのかもしれないが。