かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

昨日19時ころ、松戸の街を歩いていて突然、目の焦点が合わなくなった。


二重に見える。  横を見ると、縦の線である建物が傾いてみえる。

これは脳梗塞だ!  その場で救急車を読んだ。  


フラフラするので、立っていられない雨に濡れながら座っていると救急車がすぐに来てくれた。


松戸駅で女房を乗せて、緊急病室に。


CTスキャンの結果、脳には異常なし。


今朝眼科に行き、目の焦点が合わない理由が分かった。


左目の瞳が左右に動かない。


原因は脳にあるというので、かかりつけの脳神経外科で、再度検査するが脳梗塞にも、目に関連する脳神経にも異常なし。


血液検査で、糖尿病でもなかった‥ 


とりあえず、しばらく目の栄養剤を飲んで様子をみることにした。


私としては、両目を開けていると、船酔い状態になり、吐き気がするし、実際に吐いてしまった。


そこで,今は眼帯をつけて1つ目で歩いている。


両目だと女房に付き添ってもらえないと危なくて歩けない。


明日急ぎの仕事があるのだが、フラフラした状態でできるかな。


山はいつかは歩けない時が来ると覚悟していた。


ショックなのは絵が描けないこと、しかし、慣れれば片目でも絵はかける、試しにゴチャゴチした家並みを描こうとして、途中で吐いてしまった。



慣れるために、明日はこの下描きの細部を描き込む。


また吐くかな。


文章は休んでも絵は休まない。


山は歩けなくても、過去のブログ記事を元に、山の紀行文を書く。

ブログや絵をやめると、私は益々落ち込む。






今日のスケッチ。

 

先週の下描きに色をつけた。

 幸田露伴の知知父紀行を読んだ。

 

なじみの秩父の山や地名が出てくる。

 

露伴が歩いたり人力車に乗った

コースが目に浮かび面白かった。

武甲山は、まだ石が切り出される前だ。

 

荒川源流を途中まで辿る旅だが、宝登山について記述されているのに、近くの荒川の長瀞に一言もふれていない。

 

そうだった!そうだった!

 

長瀞は大正になって秩父鉄道が、東京のサラリ-マンを観光に呼ぼうとして、ライン下りなどを始めたのだった。

いかだ乗りの雇用対策でもあったと聞いたことがある。

長瀞は、地質に興味ある人は別として、紀行文でふれるほどのところでもなかったのだろう。

地質に興味のあった宮沢賢治もおとずれたのではなかったかしら?

 

露伴は三峰で引き返している。

荒川源流をたどって雲取、笠取、雁坂峠と歩いてくれれば、明治の奥秩の山旅の紀行文を読めたのに。

今日のスケッチ。

フランス人に一番人気のある村だそうだ。

「サン・シル・ラポピー村」。一か月ぐらい前描いたが、納得いかなかったので描きなおしたが同じ結果。 

 

 

 

数年前、平城京跡から、大量の竹簡、竹の札が発掘された。

 

 

その中には、役人の勤務評定が書かれたものもあった。

 

 

毎年、所属する役所の長官から、勤務評定を受け、その結果が、役人の位階に反映したようだ。

 

位階は五位以上と六位以下では、そのつける役職も、対偶も雲泥の差であったらしい。

 

 

 

 

普通の役人では、親の七光りでもなければ、、どんなにがんばっても、五位にはなれなかった。

五位がキャリア、六位以下は時給のアルバイト、退職金、賞与なしだろうか。

 

 

 

 

 

奈良時代の都は、住むには不便だったのか、今のように職住接近というわけではなかったらようだ。

 

 

下級役人の場合、いつも仕事があるというわけではなく、非番の日も決まっていなかったようだ

 

 

非番の日には、郊外、または遠く離れた根拠地に帰っていた。

 

 

普段は何をしていたか。

 

たぶん農作業をしていたのだろう。

 

貴族階級なら、都でも暮らしていけたろうが、まだ貨幣経済が未発達で、金さえあれば何でも買えるというわけではなく、下級役人では、自給自足する必要もあったろう。

 

 

郊外や近くの国に、生活の本拠地を置き、家族をそこに留め、自分は単身赴任で、役所で働いた。

 

 

だから、役所には役人たちの住まいが設けられている。

 

 

単身赴任の役人たちが、上司に出した休暇届けも竹簡に残っている。

 

汚れ物がたまったので休暇が欲しいというのもある。

 

汚れ物を奥さんのところに、持って帰るつもりだろう。

 

面白いのは、正倉院文書のなかに、下級役人の待遇改善の要望書が残っており、毎夕、酒を支給してくれと要望している。

 

 

この時代、居酒屋というのはない。

 

 

単身赴任の男たちだ、仕事の後は一杯やりたいであろう。

 

 

無理もない、切実な要望である。

 

私も仕事の後、一杯やれるから75歳にになっても働いていられる。

ところで、芥川龍之介の小説「芋粥」に、芋粥を腹いっぱい食べることが願いのさえない男が登場する。

その男は平安時代の侍で五位の男と表現されている。

 

しかし、五位というのは役人としてキャリアであったと知ると、芋粥の読後感も変わってくる。