今日のスケッチ。
フランスの村。
色は後日。

田山花袋の短編小説。
「一兵卒」
(日露戦争の最前線で脚気に倒れた名もなき兵士の過酷な逃避行と最期を描いた短編小説です。過度な美化を排した写実的な描写により、戦争の悲惨さと一個人の儚い命が持つ尊厳を克明に映し出しています。)
脚気は江戸時代は、江戸病といわれていた。
(日本の脚気史は、白米の常食化とビタミンB1の慢性的な不足によって引き起こされた、日本の医学史上最大の栄養障害との戦いです。明治時代には結核と並ぶ二大国民病として恐れられ、日露戦争では多くの将兵の命を奪いましたが、その後の研究により克服されました。)
江戸の読本などを読むと、脚気で死ぬ人は、あっさり江戸病で亡くなったと書いてあるだけなので、なんとなく全身衰弱して、あっさり死ぬようなイメージがあった。
しかし、この「一兵卒」を読むと、脚気の苦しみは筆舌に尽くしがたいような苦しみが続くようだ。
明治に入ると、白米食が一般庶民にも普及し、脚気は大流行した。この原因をめぐり、医学界で「栄養説」と「伝染病説」が激しく対立し、海軍(高木兼寛):洋食や麦飯を取り入れた食事改善により、脚気の予防に成功(のちに世界初のビタミンB1発見のきっかけとなる)。陸軍(森林太郎=森鴎外):細菌学を支持し、白米食に固執。日露戦争において、銃弾よりも多い約2万7,000人もの脚気死者を出したことで知られている。
ドイツに留学して細菌学を学んだ鴎外は、「脚気は特定の細菌が引き起こす伝染病である」と強く信じており、海軍が麦飯などで脚気を減らしたことも「科学的根拠がない経験則にすぎない」として激しく批判した。
当時の白米は贅沢品であり、兵士の士気を保つためにも主食を変えにくかったという陸軍内部の事情もあった。
今の知識から、鴎外を批判するのは簡単だが、そもそもあの時点では、脚気の原因が分かっておらず、鴎外だけの責任にはできない。


