かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

今日のハガキ絵。

海。

 

 

 

こんな夢を見た、

高尾駅から高尾山に向かい歩いている。

 

来週山の会の人達も高尾山だ。

 

しかし、毎週高尾山で飽きてきた。

 

高尾山に向かわずに、高尾霊園の方に歩いてみる。

こちらもいい景色を楽しめる、

 

あれあれ?

 

霊園の手前に、私の生家のかもう食堂がある。

 

生家の横をまっすぐ坂を上がると、都城市立霊園がある。

 

霊園の終わるところが崖になり、崖を下ったところが広い窪地になり、そこは大淀川が氾濫した時には、水浸しになるところだから、民家は1軒もない。

 

簡単な畠があるほかは、竹藪や草原になっている。

 

子供の頃、よく遊びに来た場所だ。

 

この窪地の道をまっすぐ行くと、大淀川に出る。

 

たまには山遊びではなく、川遊びでもしようか。

 

なかなか大淀川にたどり着かない。

 

しかし、草原の道は適当なアップダウンがあり、だんだん下って行くようだ。

 

しかし、道は変化に富んで景色もよい。

 

ポカポカと暖かく、春の野道を歩いているようだ。

 

そうだ、山の会の人達をここに案内しよう。

たぶん2時間ぐらい歩いたら、丘が見えて来た。

 

あの丘を越えたら、大淀川の岸に出るだろう。

 

丘を下りたら、川は波がたっている。

川ではなく湖かな。

 

違う違う。

 

波の静かな海に出たようだ。

 

そうか、ここは志布志湾だ。

 

子供の頃、親に連れられて、志布志線に乗り、志布志の海水浴場に行った。

 

裏道を通れば、歩いて行ける距離だったのか。

 

 

遠浅の海で、沖の方まで歩いて行っても、足首のあたりしか濡れない。

 

 

しかし、周りの景色は、海霧が立ち、自分の場所が判然としない。

 

岸はどちらの方か分からない。

 

海の中に取り残されたか。

沖の方に行ったら、波にさらわれる。

 

焦っていたら、ようやく浜辺の松原が見えてきたのでそちらに向かう。

 

浜辺で周りを見回すと、景色は全て霧のせいで霞んでいる。

 

遠くで子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。

 

近所の子供たちが、海で泳いでいるようだ。

 

声からすれば、ごく幼い子達が遊んでいるようだが、霧ではっきりしない。

 

内海の波はすごく穏やかで、中禅寺湖の岸辺のようだ。

 

山の会の人達を、ここに連れてくれば喜ぶぞ。

 

まさか高尾山から海に来れるとは。

 

夢から覚めて、あの夢の中の景色は、死後の世界ではないかと、縁起でもない事が頭をかすめた。

 

それほど静かな海辺だった。

 

今日のハガキ絵。

 

赤胴鈴之助。

 

まぼろし探偵。

こんな夢を見た、

時代劇の映画を見ているのか、それとも私が江戸時代にいるのかはっきりしない。

 

凛々しい侍がいて、赤道という名前らしい。  

 

せきどうとは読ませないだろうから、あかどうか、あかみちと呼ぶのだろう。

 

侍仲間が、赤道を鈴之助と呼んでいる。

 

 

あかどう鈴之助なら、漫画の赤胴鈴之助のことではなかろうか?

 

赤胴鈴之助の歌では(父の形見の赤胴着けて🎶)と歌う。

 

 

ひょっとしたら、赤胴は愛称で、本名は赤道鈴之助なのか。

 

鈴之助という名前は、歴史でも時代劇の人物でも聞いた事がないから、赤道も鈴之助も珍しい名前なのだろう。

 

赤道鈴之助は、赤胴鈴之助の成長後の名前だろう。

 

鈴之助の住んでいるお寺は、見た事がある。

 

近所の寺宝光院ではないか?

 

わかった。

 

赤胴鈴之助は大人になったら、本名の赤道鈴之助になり、松戸のお寺で剣術道場をひらいていたのだ。

 

新発見だ。

 

赤胴鈴之助は架空の人物ではなく、実在の人物だったのだ。

 

 

鈴之助の写メを撮って、ブログに載せよう。

 

そうか、赤胴鈴之助の漫画は,福井英一が第1回分を描いて、急死した。

 

2回目から武内つなよしが、赤胴鈴之助の連載を引き継いだ。

 

作者の福井英一が急死したから、赤胴鈴之助が実在の人物だということを皆知らずにいるのだ。

 

そこで夢は終わった。

 

変な夢だったが、一部はリアルだった気がする。

 

 

近所の宝光院の横には、江戸時代の剣客、千葉周作の居宅があったと伝えられ、石碑もある。

 

千葉周作は、漫画の赤胴鈴之助の師匠だという設定になっていたから、そのつながりで、赤胴鈴之助と松戸が結びついたのだな。

もちろん、赤胴鈴之助はまぼろし探偵同様漫画の架空のヒーローである。

 

私が初めて赤胴鈴之助の漫画を見たのは、まだ文字が読めないときだった。

 

兄が少年画報を定期購読していたから、その時に見たのかもしれない。

 

内容は理解できなくても、チャンバラシーンさえあれば満足だったし、私が見たのは赤胴鈴之助が、川に流されている場面だった。

 

 

 

今日のスケッチ。

フランスの山村。

全ピ連代表、榎美沙子。

我々の世代には懐かしい名前だ。

 

あの人は今?

という感じだ。

 

 

 

1972年には、「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」(中ピ連)を結成し代表となる。

 

ピンク色のヘルメットをかぶっての街頭宣伝・デモ活動を行う。

 

不倫している男性の会社に集団で押しかけて吊るし上げる戦闘的な運動スタイルや、マスメディアへの積極的な露出で注目を集める。

 

ワイドショーなどでよく見かけた。

 

ただ、当時の経口避妊薬は副作用が大きく、それ自体が女性の体に悪影響を与え、かつ性病の蔓延を助長するという理由からあまり用いられなくなった。

 

このため運動は下火になり、1975年に中ピ連は解散した。

 

しかし、その後の榎さんの活動は、やや奇矯と思えるようになった。

 

 

1977年、第11回参議院議員通常選挙に際し、中ピ連を母体として日本女性党を結成し国政進出を図るも失敗。

 

票日からわずか2日後の7月12日、同党は解散。美沙子は派手な

衣服を身にまとい独特の選挙運動を行ったが、自身は選挙に立候補せず、「代表者が国民の審判を受けないのはおかしい」と選挙期間中からその態度に疑問の声が上がった。

 

またピル解放によって利益を得る製薬会社との関係も取り沙汰され、日本女性党の同志の信望も失い、党は瓦解。

 

確か、不倫男性を吊し上げる時に、恐喝又は弁護士法違反が疑われて、金権政治家の糸山英太郎に後始末を頼んだと、某週刊誌に書かれたりした。

 

 

以後は活動もできなくなった。

 

その後の榎さんを調べて見た。

 

 

 

 

医師である夫は美沙子の一連の活動に一切口を挟まず黙って見ていたが、選挙惨敗・日本女性党解散時のインタビューで「これで目が覚めただろう。選挙に出たので妻には莫大な借金がある。しっかり働かせて全額返済させる」と語り、美沙子も「以後、夫に尽くします」と家庭に入る。

 

借金完済後は夫に家を追い出され、1983年に協議離婚。

 

美沙子は京都市内にアパートを借りて一人暮らしを始め、更に数年後司法試験を目指して法律の勉強をしているという情報が雑誌『週刊新潮』に取り上げられた。

 

 

 

 

その後司法試験を受験した形跡はなく、ついに消息も不明となった。親族もその行方を知らないという。