いつもありがとうございます。ミズです。


このブログにお越しいただき、感謝いたします。


人が生きていくために、どうしても必要なものって、何でしょうね。


みなさんでしたら、どのようにお考えになるでしょうか。


万人共通のものとしては、まず、「健康」。


これは、みなさん、ほぼ異論が無いと思います。


健康ではない状態、つまり、病気に罹 (かか) った状態は、突き詰めていけば「死ぬ」ことを意味するわけですから、当然、大事なことになります。


それから、やっぱり「お金」は必要でしょう。


先立つものが無ければ、そもそも、何も始まりません。


お金さえあれば、衣・食・住からはじまって、大概の問題は解決できます。


生きていくために必要な物資や環境は、お金で購入できるし、必要なサービス・人の助力も、お金さえあれば、依頼することが可能だからです。


あとは、「人間関係」も必要だと思います。


ある程度の健康状態を保っていても、ある程度お金に余裕があっても。


人間関係での悩みを機に、自ら死を選ぶ人だっていますからね。


逆に、人間関係上でのトラブルから、他の人を殺めてしまうことだってあるわけですよ。


「健康」や「お金」は、言ってみれば、「肉体生命を維持するのに “ 最低限 ” 必要なもの」です。


とりあえず、“ 肉体が生きている状態 ” を支えるものは、大きくは、この2つじゃないかな。


お金で健康を買える部分もたしかにありますが、それで全てを解決することは不可能。


節制という意味でのセルフコントロール、つまり、「自力」無しに、身体が健康になることはないからです。


そうなると、やはり、“ お金が全て ” とはならず、この2つは必須になると思います。


それに対して、「人間関係」は、肉体生命の維持に直結するものではありません。


直結はしないけど、それ無しには生きていけないくらい、大事なものなんですね。


ハッキリ言えば、人間関係というより「愛情」です。


「愛されていること」「好まれていること」「存在を肯定されていること」です。


こんな、「目に見えない思いのエネルギー」にしか過ぎないものが、生きていくために絶対不可欠な要素になっています。


それ自体、人間が “ ただの肉の塊 ” ではなくて、「霊的存在」であることの証明だと思うんですよ。


しかも、人からいただく愛情のエネルギーを心で吸収しつつ、同時に、人に対して放出もしながら、人間は生きています。


愛情のエネルギーの相互交換、このサイクルの繰り返し。


これを、最後の死に至るまで続けていくのが、人生なんですね。


愛情の話をしました。


ところで、昨日の投稿記事は、「家庭内別居」という微妙なテーマでしたけど、これも、結局、愛情の問題になります。


この家庭内別居の状態、つまり、ウチを出て別々の生活を送るでもなく、完全に離婚するでもなく。


しかし、家族としての交流は一切無し、あくまで、“ 他人・ただの同居人 ” として、共同生活している状態。


こんなイビツな環境で生きている方々って、意外に多いみたいですね。


それを、いちいちあげつらって、善し悪しの評価や判定をするつもりは、毛頭ありません。


ただ、先ほどの「愛情のエネルギー循環」の観点から言いますと。


家庭内別居の姿は、「干からびて草木1本生えていない不毛の大地が、どこまでも果てしなく広がっているような、絶望的な風景」にしか映りません。


愛情エネルギーの交換が、単に存在しないだけではなく。


愛情の逆である「憎しみ」。


つまり、「毛嫌い」し、「悪意」を持ち、「排除したい斥 (しりぞ) けたい」と願い、「否定」する気持ち。


こんな “ 負のエネルギー ” が充満しているからです。


最初は、一方的にマイナスエネルギーが発信されていても、相手の心に、やがて同じ憎しみの感情を呼び起こしますから、“ 負のエネルギーの応酬 ” になります。


生きていくのに必要なものは「愛」なのに、真逆の

「憎しみ」をぶつけ合うんですから、たぶん、寿命が縮まっているんじゃないかな。


その証拠に、昨日の記事でご紹介した知り合いも、「早く死にたい」とハッキリ言っていました。


そうなんです。


生きる気力を大きく削がれてしまうので、死にたくなってくるんですよ。


そうである以上、同じ空間に居ることは、やはり間違いだと言う他ありません。


もし、まだ修復可能ならば、お互いに歩み寄って、“ ゆるやかに殺し合う ” にも等しい “ 負のエネルギー交換 ” は、止めた方がいいです。


もはや、修復できる見込みが “ ゼロ ” なら、同居せざるを得ない諸事情があったとしても、その状態は早めに解消すべきだと思いますね。


少なくとも、生活空間は別にするべきでしょう。


話は変わりますが、人様の役に立ち、自分を成長させる「小さな何か」を積み重ねていると、自分に対する肯定感が高まる、という話をしたことがあります。


いわゆる「自己信頼力」「自己肯定力」です。


しかし、もし、このような家庭内別居の状況にあった場合、いくら、自己肯定の積み重ねをしても、存在否定のマイナスエネルギーと打ち消し合いますから。


いつまで経っても、“ 貯金 ” は増えていきません。


 “ 自己肯定の貯金 ” は、活かし方次第によっては本当のお金に変わる、つまり、収入化することさえ可能なんですから、こんなに虚 (むな) しいことはないです。


それと、中途半端な、白黒どちらでもない “ グレーな生活態度 ” を終わらせることで。


つまり、「過去の出来事として確定させる」ことで、自分自身、はじめて冷静にもなれるし、反省も進むわけです。


それは、人生が前進することを意味しています。


嫌いで嫌いで仕方がない相手が、同じ空間に存在していては、そりゃあ冷静にはなれませんし、反省なんかムリですよ。


「現在進行形で終わっていない」からです。


ですから、家庭内別居状態に、好転の兆しが一切見られないようであれば。


「心機一転して、新しい一歩を踏み出すこと自体は、そんなに悪いことではない。」


と、ミズさんは考えます。


以上、まとめとしては、ややイマイチになりましたけど、何らかの参考にしていただけたら幸いです。


それでは、またお会いしましょう。


最後までお読みくださって、ありがとうございました。