いつもありがとうございます。ミズです。
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今日は、世の中を生き抜くための心掛け的な話をしてみようかと思います。
「人の口に戸は立てられない」のことわざ通り、他の人が、どこで何を言うかをコントロールすることはできません。
「誰にも言うなよ。秘密厳守だからな。」とエライ人から申し渡されて、その場では、「はい!かしこまりました!」と返事をしたとしても。
「ここだけの話だから、誰にも言わないでね。」と断った上で、やっぱりしゃべってしまうのが人間というもの。
飲み会の場でお酒が入ると、さらに拍車がかかり、ベラベラ話してしまう、なんてことは日常茶飯事です。
「人のウワサは蜜の味」でして、他人をネタにアレコレしゃべっていると、なぜか “ 気持ちいい ” んですよね。
そう。“ 心地良い ” ものだから、どうしても口をついて出てしまうものなんです。
これは、ウワサ話が好きな人たちが、“ 極悪人 ” だからではありません。
ごく一般的な人間心理といわれています。
それから言えば、口が固くてウワサ話をしたがらない人の方が、むしろ “ 異常 ” と言ってもいいくらい。
他の人の失敗話や不幸談を聞くと、本能的に快感を覚える。
これはたぶん、その照り返しで、「自分の幸福な状態を再確認できる」ことも理由のひとつじゃないかなと思います。
でも、ウワサの対象は、他人の失敗や不幸ばかりではありませんよね。
逆のパターンもあります。
他の人がハッピーな環境にあることを、影でアレコレ批判するなんてことも、よくある話。
これは、「自分がそこまで幸福ではない or 不幸な状態にあることをなぐさめたい」気持ちの表れなのかも知れません。
「人を批判することで引きずり下ろし、自分たちと同列か、それ以下に落としたくなる」と言ってもいい。
そうすると、多少は胸がスッとしますものね。
そんな人間の性質上、最初に戻りますけど、「人の口に⋯」になるわけです。
止められません。ウワサも批判も悪口も、防ぐ方法は無いんです。
だとしたら、こんな世の中で、どのように生き渡っていけばいいのか。
他人だけを責めていればいいわけでもないでしょう。
なぜなら、自分だって、他人のウワサ話をやっているんですから。
責めたくなるのは、自分自身が批判や悪口の的にされている時だけであって、他人が対象ならば、全然問題ないと考えるものなんですよ。
自分が影口のネタにされていたら、到底耐えられないし、許せない。
しかし、他人がネタならその輪に近寄り、一緒にワイワイやりたがるのが人情。
それは、ひょっとしたら、自分に批判の矢が飛んできていないことを確認して安心するというか、心のどこかでホッとしているからじゃないでしょうか。
でも、批判のやり玉に一切上がらずに、無事に一生を終われる人がいるかというと、まあ、いませんよね。
つまり、どこかの局面で、必ず “ 被害者側 ” に回ることになっています。
悪いウワサを立てられていても、知らないままでいられたら、むしろ幸せなんですが。
偶然、何かの拍子に、自分の耳に入ってくることもあります。
その時は、たしかにツラい思いをするし、怒りも込み上げてくる。
結局、誰からも悪口・文句・批判を受けない人はいません。
当たり前ですが、完璧で非の打ち所が無い人なんて、存在するはずがないからです。
全ての角度から判定を受けるとしたら、必ずボロが出てくるものだし、欠点や不足する点はたくさんある。
でも、あらゆる人の目を通していく過程で、一定のところに評価が落ち着いてきます。
ここが不思議なところですけどね。
人間の目には、その人の “ 一部 ” は見えても、“ 全部 ” は見えていません。
なのに、その一部を取り出して、「この人は〇〇だ」と、割に簡単に決めつけてしまいます。
個々人だとたしかにそうなんですが、大勢の人の評価を総合すると、意外に妥当なところに至るわけです。
最後は、この「トータルで出てきた判定」を信じ、受け入れるしかないと思うんですけど、いかがでしょうか?
自分に対する個別・具体的な悪いウワサや批判は、正直、正当かどうかは分かりません。違っているかも知れない。
でも、「多数決的に出てくる判定」となると、なかなか反論しにくいのは事実です。
付け加えて言えば、あとは「時間の流れ」ですかね。
一定の時間の経過の中で、だんだん固まってくる評判・評価についても、やはり抗い難いものがあります。
大きくは、この2つの側面から見た方がいいかも知れませんね。
その判定に、もし納得がいかないのなら、他人を責めるよりも、むしろ、自己変革に取り組んだ方が “ 早い ” と思います。
で、ひとつひとつの批判や悪口、影口については、無視しろとは言わないけど、あまり気にしないで進んでいればいいんじゃないでしょうか。
人間世界は、良くも悪くも、他人のウワサ話で充満しています。
それをいちいち気に病んでいては、保たなくなるのは当たり前です。
歳を取ると、その点で、ある意味 “ 鈍感 ” になってきて、神経も図太くなってきます。
「老いの効用」と言ってもよいと思いますが、こたえなくなってくるところがあるんですね。
それも、世の中を生き渡っていく力には違いありませんから、老いることを喜んでいいのかも知れません。
それでは、またお会いしましょう。
最後までお読みくださって、ありがとうございました。