いつもありがとうございます。ミズです。
このブログにお越しいただき、感謝いたします。
以前、『肉親の死を看取る』という記事を投稿しました。
ミズさん自身が、祖母の最期に立ち会った前後の体験談をお話したのですが。
だんだん、気分がノってきたというと変ですけど、記憶が湧き出して止まらなくなってしまいまして。
それをそのまま書いたので、相当な文量になっています。
まだ、他にお話したいこともありましたが、そこまで届かずに終わっていたところが、少し残念。
そこで、今回の記事で、その残り部分を述べてみたいと思います。
さて、ミズさんが、人生で身内の死を看取ったのは、母方の祖母ひとりだけ。
祖母は、病院ではなく自宅で療養を続け、最期もここで迎えました。
ミズさんが、高校3年生の夏頃だったと思います。
大好きだった祖母が、遂にいなくなった。
この世から、存在そのものが消えてしまった。
もう二度と、祖母を直に見ることも、触れることもできない。
もちろん、祖母の代わりになるような人など、いるはずもない。
一般的に「喪失感」と呼ばれているものを、17歳で実感したんですね。
遺体を焼き場で焼き、身内でお骨を箸で拾って、骨つぼに納めていく、あの儀式。
実際に経験したのも、この祖母の時だけです。
あれは、残酷な景色でした。
亡くなったのだから、仕方ないんだけど。
祖母が、こんな哀れなみすぼらしい姿にされるなんて。
その後しばらくは、何と言ったらいいのか、“ 腹が立つような気持ち ” で生きていました。
何で祖母を失わないといけないんだ!というような怒りの感情。
でも、誰にも向けようがない、ぶつけようがない、この怒りの感情。
まさに、「やるせなさ」としか言いようがない気持ち。
何日か忌引で高校を休んだ後、また通学をし始めた初日。
友人から、「何で学校休んでたの?」と聞かれました。
まあ、理由なんて知らないでしょうから、仕方ないんですけど。
今述べた、怒りやいら立つ気持ちでいるところを、見事に “ 直撃 ” されたものだから。
思わず、「おばあちゃんが死んだんだよ!!」と大声で言い返してしまって。
その瞬間。
立ちくらみというか、頭脳が揺れるというか、意識を失いそうになったんです。
ミズさん、いわゆる霊感的なものは無いんですけど、あれは、率直に言って「霊体験」だったと思います。
後にも先にもあれくらいでしたね、霊的な感覚をはっきりと味わったのは。
たぶん、亡くなった祖母が、ミズさんを心配して来ていたのかなぁ、と思っています。
それで、自暴自棄なミズさんに合図をくれたんだ、と解釈しました。そんな態度でいちゃいけないよって。
祖母にちなんだ霊体験ついでに言うと。
伯母 (母の姉) が哀れな最期を迎えた話も、最初にご紹介した『肉親の死を看取る』の中で書いています。
伯母は、晩年、心臓を患っていました。動悸がスゴかったです。
いつだったか、伯母に「ちょっと触ってみて。」と言われて、脈を取ったんですけど、もう普通のレベルの回数じゃなかった。
「あぁ、これはそう長くは生きられないだろうな。」と思うくらいのものだったんです。
それで最期は、息子とケンカした後、そのまま急死。
外出していた息子が家に戻った時は、もう息を引き取った後でした。
それで、急きょ、慌ただしく準備・手配をして、お通夜からお葬式へと進み、それらが終了して一段落した後。
そのひとり息子が、コンビニに買い物へ出かけたんですね。
ミズさんたちは、お骨をご仏壇前にご安置した居間で、何気なくおしゃべりしていたら。
その息子から、ケイタイに、「コンビニで事故を起こしてしまった。」と緊急の電話が入りました。
急いで現場に向かってみると。
コンビニの駐車場で、車をバックさせる際の不注意による衝突事故を起こしていた。
コンビニの店員さんにほうきとちり取りを借りて、散らばったガラス片を片付けている、従兄 (いとこ) の顔と目を見た瞬間。
「あぁ、これは伯母に取り憑かれているなあ。」というのが、直感的に感じられました。
息子とケンカした状態で最期を迎えたので、その怒りや憎しみで心が止まっているがゆえの、取り憑き状態だったのか。
それとも、急死したために自分の死が受け入れられず、パニックになって、息子を頼って来たのか。
どちらかは分かりませんが、憑依されてしまったための交通事故だったようです。
あるんですねぇ、こういったことが。
というか、交通事故の大部分には、“ 裏事情としての取り憑き現象 ” があると考えるべきなのかも知れません。
これも、ささやかながら、一種の霊体験と考えていいのかなと思っています。
2つほど、不思議なお話をいたしました。
それにつけても、祖母であれ伯母であれ、安らかに死を迎えてもらえなくて、それが残念と言えば残念。
安らかさを与えてあげられなかった原因は、ミズさん自身が、真実に無知であったために。
つまり、死後の生があること、霊界があること等を、当時、自信を持って語れなかったために、死にゆく彼らを説得する “ 以前の状態 ” だったこと。
昔から「引導を渡す」と言いますけど、あれはお坊さんが、安らかにあの世に旅立てるために、故人を教え導くことを言っていました。
それと同じ役割を担う責任は、残されていく家族他の身内にあると思います。
今の世の中で、そのことを力説する奇人・変人が少ない以上。
ミズさんは、自身が、ささやかながら “ 引導の渡し方 ” をレクチャーできる者になろうと考えているところです。
ちなみに、お医者さんたちは、良くて「不可知論者」、普通は「無神論者・唯物論者」であることが、圧倒的に多いでしょう。
先日、何度もご紹介したキューブラー・ロス医師のような、霊的真実を肯定するお医者さんは、 “ 絶滅危惧種 ” くらいの少なさです。
お医者さんたちは、もし、身内の臨終に立ち会わないといけないとして、何を彼らに語りかけてあげられるのでしょうか。
「死んだらどうなるかは分からない。だから、何も考えるな」とでも言うのか。
あるいは「死んだら全て終わりだ。全部 “ 無 ” になって消えてしまうんだよ。」とでも言い放つのか。
普通の人間としての「良心」や「心の温かさ」があるのならば、そんなことは絶対言えないと思いますがね。
もし、本音ではそう思っていても、死を目前にした身内を前にしたら、やっぱり、なかなか言えるものではありませんよ。
なぜでしょうか?
それは、人間は、「本能的に信じている」からだと思います。
その現実そのものが、霊魂・霊界があることや死後の生が続くことを、ある意味、証明しているんじゃないですか?
現代人は、頭でっかちになり過ぎて、複雑思考が好きみたいですけど、素直に受け入れ、信じるだけでいいんですよ。
余計なものを詰め込み過ぎているんです。
ミズさんにも、肉親の死に関連した不思議体験があるくらいですから、世の中の多くの人たちも、きっとそうだと思います。
彼らに、「最後の愛」を実践してあげてください。
今回は、このくらいで終わりにしましょうか。
肉親の死に関わる、関連知識・情報も持っておきましょうという話、これも近いうちにまとめたいと考えています。
身内の死去に絡む周辺知識は、結構大事ですよ。
知らないままでいると、後で混乱を起こしたり、損をして後悔することもあるからです。
そちらも、みなさんと共有できればと思います。
それでは、またお会いしましょう。
最後までお読みくださって、ありがとうございました。