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いよいよ、スウェーデンボルグとカントのシリーズも、最終回となりました。
今回は、哲学or学問と、宗教or霊的な真理は、「対立するもの」と考えられがちですが。
本当にそうだったのか。元々相容れないものだったのか。
それとも、現代人の誤解なのか。
そんな話をしてみたいと思います。
哲学の起源をさかのぼりますと、一般的には、ソクラテスに行き着くことが多いでしょう。
ソクラテスのことを調べてみると、しかし、おかしなところというか、理解できない部分があちこちに出てきます。
ソクラテスには、「ダイモン」という名前の守護神・守護霊的な存在がいて、彼を導いていたらしい。
このダイモンの導き方が変わっていたそうで、「ああしろこうしろ」風の指導をしない。
つまり、ソクラテスが選択する言動に対して、細かい口出しをしなかったそうなんです。
その代わり、まれに、ソクラテスが何かをしようとする際、「それはしてはいけない」と、ストップをかけることがあった。
つまり、原則、ソクラテスの自主性を重んじていて、「危ない」と見た場合にだけ、声をかけていたらしいんですね。
彼は、最晩年期に、公開裁判にかけられます。
それは、ダイモンの言葉と称して語っていたことが、ギリシアの伝統的な神々への信仰を、否定・侮辱するものだとして。
「青少年を惑わし、堕落させた罪」に問われたからです。
しかし、実は、そこに至るまでの “ 背景 ” というべきものがありました。
ソクラテスの弟子のひとりが、巫女に「ソクラテス以上の賢者はいるか」と尋ねてみたところ、「ソクラテス以上の賢者はひとりもいない」との答えを受けます。
これが、「デルフォイの神託」と呼ばれている、有名な出来事です。
でも、ソクラテス自身は、「そんなはずはない。これは何かの間違いだ。」と驚いて、信じていなかった。
ただ、由緒正しいアポロンの神託所でのご神託を、否定するわけにもいかず。
結局、どうしたかというと、当時の有名な学者・政治家たちを次々に訪ねて、議論 (問答) してみたそうです。
議論で言い負かされたら、自分はギリシア一の智者ではないことが証明できる、と考えたから。
ところが、ソクラテスは言い負かされるどころか、学者たちを、全員論破してしまった。
その過程で、学者たちは「恥をかかされた」と逆恨みをしますので。
やがて、「ソクラテスを裁判にかけて、有罪判決にしよう。」と罠を設け、陥れたわけです。
そこで、しおらしく許しを乞えば、死刑まではいかなかったらしいんですけど。
ソクラテスは平然と、「自分は何も間違ったことは言っていない。自分に罪は無い。」と言い放ってしまった。
この時の様子が、「ソクラテスの弁明」という書物になって残っています。
それを聞いた民衆たちは怒り狂って、「ソクラテスを死刑にしろ!」と騒ぎ始めました。
結局、彼には死刑判決が言い渡され、牢屋にぶち込まれます。
処刑方法は、毒ニンジンの杯を飲むことによる自死でした。
でも、まだ死刑を逃がれる余地はあった。
なぜなら、牢屋の番人が、ソクラテスに同情していたからです。
番人自らの手引きで、ソクラテスを逃がそうとするのですが、当のソクラテスは、全く逃げる素振りも見せない。
なぜなら、ダイモンが「毒ニンジンの杯を飲むな。逃げよ。」と、ソクラテスに言わなかったから、なんです。
「だから、自分はこのまま死ぬべきなんだろう。それに従うまでだ。」
そのまま毒杯をあおり、死に至りました。
これが、ソクラテスの最期です。
なぜ、全く狼狽することも無く、淡々と死ねたのか。
それは、彼が、生命の永遠を信じていたレベルではなく、100%確信していて、一切揺らがなかったから。
いや、もっとはっきり言えば、彼は霊能者だったからでしょう。それも、スウェーデンボルグ並の。
だから、「死とは、霊界に移行するだけのことだ。」と、悟っていたんだと思うんです。
もし、ここで逃げてしまったら、これまで自分が説いていたことが、全部「ウソ」にされてしまう。
そちらの方が、彼にとっては、この世の命よりも重要事だったんです。
ソクラテスには、有名な逸話が残っています。
これは、彼が若い頃の話ですが、兵士として戦争に駆り出されたことがあったそうで。
その時、ある戦場で急に “ フリーズ ” して、終日突っ立ったままになったことがあったそうです。
これは、実はその間、ソクラテスが幽体離脱して、霊界に参入していた、ともされています。
ソクラテス自身には、著書がありませんでした。
にも関わらず、ソクラテスの言葉が現代まで伝わっているのは、弟子のプラトンやクセノフォンのおかげです。
プラトンは、ソクラテスより43年も歳の離れた弟子で、ソクラテスが亡くなった当時、まだ28歳の青年でした。
プラトンは、たくさんの著作を書き残しています。
その中で、「師のソクラテスが語った」として、様々なことを述べていますけど。
この辺りに、プラトンの “ 賢さ ” が現れていると思うんですね。
ソクラテスが本当に語った内容なのかどうか、プラトン本人がそう言っているだけで、実際のところ、確かめようがありません。
実際は、ソクラテスの名を借りて、自分自身の思想を述べていた部分もあっただろうと思われます。
これは、師のソクラテスの最期から学んだ “ 自己防衛術 ” だったのかも知れません。
このプラトンの著作の中に、「国家」というものがあります。
そもそも国家とは何なのか、そのあるべき姿・理想形とは何なのか。
これを思索し、まとめたものですけど、この「国家」の最終章に収められているのが、「エルの物語」。
これは、“ 霊界探訪物語 ” と言ってもよいものです。
戦争に出兵したエルという青年が戦死し、その遺体が故郷の村に戻ってきました。
ところが、一緒に戻ってきた他の兵士の遺体が、だんだん傷んでくるのに対し、エルの遺体だけは、まるで眠っているかのように生き生きしていました。
そのため、葬るのもためらわれたのですが、そのまま放置するわけにもいかず、村人たちは、とうとう遺体を火葬をしようとします。
そして、まさに火を点けようとした瞬間、何とエルが生き返ったのです。
そのエルが語った内容が、人が死んで霊界に還り、裁きを受けて、天界あるいは地獄へと向かう過程。
さらに、次に、別の人間もしくは動物に生まれ変わるまでの過程。
これらを見聞してきたと言うのです。
プラトンが「国家」の最後を、この話で締め括っているのが、とても興味深いですね。
なぜ、そうしたんでしょうか。
それは、たぶん、この世の国家の仕組みを、いくら理想的な形にできたところで。そう思い込んでいたところで。
その国家で生きた人々が、最後の最後に赴くのが「地獄」であるならば、理想国家とは言えない。少なくとも、理想国家としては完成していない。
そう言いたかったのではないかと思います。
そう考えると、例えば、現代でも、唯物論・無神論を掲げた全体主義国家が存在しているわけで。
プラトンが問題視したのが、こういう国家運営の姿だったのでしょう。
ちなみに、プラトンと言えば「イデア論」が有名ですけど。
これはひょっとしたら、霊界の天国の様子を、哲学思想的に、そう表現していたのかも知れません。
「国家」の最終章の締め括り方、そしてこの「イデア論の内容」を考えると。
おそらく、ソクラテスと同様、プラトンも霊能者だったのではないかと推定されます。
エルの物語の中身も、実は、プラトン自身の神秘体験が反映されている可能性もあると思います。
このように、哲学の起源に位置する方々は、霊界にまで、その視野が届いていました。
その上で、「この世でより良く生きる方法とは何か」を探求・思索・思考したのが、彼らの哲学だったんです。
現代では、哲学研究をするのに都合が悪いのか、ソクラテスの霊的な部分は “ 軽くスルー ” されているようですし。
プラトンの「国家」の「エルの物語」部分も、“ あまり触れない ” ようにしているような気がします。
でも、哲学というものは、元々、霊界や霊的存在と共存していたというか、それを前提に成立していたと思うんです。
専門分化が進むのは良いことかも知れませんけど、原点が見失なわれているとしたら、とても残念なことです。
このシリーズは今回で終わりにしますが、長々とお話してきた理由は、ただひとつ。
「あるものはあるんですから、素直に受け入れましょう。」
これだけです。
哲学的にor学問的に複雑思考をするのは構いませんけど、霊的なものを否定したり、不可知論的に触れないだけで終わらせないでほしいですね。
「自分が霊体験できたら否定しない」とおっしゃる方もいるかも知れませんが。
その理性的な複雑思考自体が、かえって霊感を鈍らせ、霊的なものを遠ざけ、自分自身を “ 絶縁体化 ” している原因。
そう考えても間違いではないと思います。
それでは、またお会いしましょう。
最後までお読みくださって、ありがとうございました。