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女ひとり旅ですがなにか? -城と仏像が好き-

城好き、仏像好きの旅人です。
旅の記録や、城の事、仏像の事をメインに書いていきますw

7月11日に旅立った北への旅も早いものでもう一週間になります。
旅行いよいよ最終日。

この日は朝からレンタルサイクルを飛ばして、上杉神社へと向かいました。


謙信公

まず出迎えてくれたのは謙信公の像


なんとも威厳がありますね。

上杉謙信は「軍神」として伝えられているように、戦上手で、一台にして越後平定を生した人です。数多くの逸話が残されていて、馬上の謙信には矢も鉄砲の弾も当たらないと言われていたり、毘沙門天の生まれ変わりと言われていたり…

毘沙門天への信仰の為「妻帯禁制」を固く守っていたので、生涯独身でした。

おかげで、実子をもたなかったので、御館の乱という悲劇が起こってしまうのですが…


景勝と直江

その御館の乱で勝ち、上杉家を継いだ上杉景勝直江兼続のふたり。

大河ドラマ「天地人」で二人は有名になりましたね。

ちなみに私は負けた上杉景虎派ですので、この二人の事はあまり良く思っていないです。(笑)

景勝なんて、ただの根暗男じゃん!
とにかく無愛想、無口で、それに関する逸話もたくさん残っています。

鷹山公

でもう一人、上杉鷹山公

私はこの方は好きです。

傾きかけていた上杉藩を立て直した人です。

「成せば成る、成さねば成らぬ何事も」という鷹山の言葉は有名ですね。

上杉神社

上杉神社です。

上杉神社の祭神(ご神体)は、上杉謙信公です。

社殿は、米沢城本丸跡に建てられています。

余談ですが、上杉神社の社格は別格官幣社です。

神社って、神様を祀る所ですよね。日本古来の神様を祀る所が神社、天皇を祀る所が神宮です。

神様だけではなくて、英霊や功績を挙げた忠臣を祭神として祀る所も神社です。

ただし、菅原道真を祀る所は天満宮です。

さて、謙信公がご神体ではありますが、ご遺骸は上杉家霊廟に移されているので、上杉神社では謙信の霊魂を神式で祀っているのです。

神社内には、宝物殿があり、上杉家にまつわる様々なものが展示してあるのですが(兼続のの兜もあります)この日行くと、なんと、宝物殿が震災の被害を受けていて、修復中とのこと!!

残念・・・

まあ、以前一度来ているから良いけどね・・・

一日も早い復興を祈っています。


で、神社を後にして一路上杉家霊廟へ

上杉家墓所

ここには初代謙信公から十二代斉定公までの廟が整然と並んでいます。


謙信廟

中央に一際威厳をもって建つ謙信公の霊廟

ここは街の真ん中であるにもかかわらず、異世界のように空気が澄んで静寂に包まれていました。

深々と祈りをささげて、東北の一日も早い復興を見守ってくださいとお願いしました。


さて、米沢を後に東京への帰路です。

が、まっすぐには帰らないんだなw


白河で途中下車しました。

白河小峰城

駅のホームからすでに見えている城影。

白河小峰城です。

総石垣作りで、三重の複合式望楼型天守を持つ小峰城は、東北三大名城の1つです。

築城の歴史は古く、南北朝時代で、その後江戸時代に丹羽長重が城主となり城郭の大改修を行って現在の形になっています。

丹羽長重の父・丹羽長秀と言えば、安土城の築城責任者でもある築城の名人と言われていますよね。息子も築城の名人の血を継いでいました。

この頃の流行であった層塔型ではなく、秀吉以前の天守に多い望楼型なのも、私の好みです。

徒歩5分程度の超近い城まで、てくてくとワクワクしながら歩いて行ったのですが、場内に入って目の前に広がる光景に愕然としました。



崩れた石垣


崩れた石垣2

石垣が、無残な姿に崩れ落ちています。

それも1か所とかではなく、何カ所も・・・

崩れた天守台

天守台まで崩れています・・・(涙)


3月11日の地震で崩壊したそうです。

天守閣はなんとか無事でしたが、天守台が崩れている為、少なからずの被害はあるようです。もちろん下の清水御門跡から閉鎖されている為、近づくことは出来ませんでした。

ああ・・・美しい切り込み接ぎの石垣が・・・

修復には数年掛かるようです。

もちろん人の命が一番大事ですが、文化財の保護も大事です。

人の命と同じように、歴史的文化財は失われたら二度と元には戻せないのです。

復元は出来ても、本物ではないのです。

震災は仕方のない事ですが・・・

だから私は全国の城を破壊して回った明治政府が許せません!!


という訳で、旅の最期は悲しい悲しい現実でした。


さて、今回の東北北海道の旅。

当初の目的は「私なりの東北支援」でした。

ボランティアで助けたいと口で言うのは簡単ですが、現実的には私には何もできることはありません。(医療資格も無いし、建築・土木の資格もありません)

何かできないだろうか?と考えていた時に、TVで見た、東北地方の観光客の激減のニュースでした。

もちろん被災して、未だに大変な地域もあります。

でも直接の被災には関係ないのに「東北」という言葉でひとくくりにされて、観光資源で潤っていた場所も、人が来なくなり、収入が減っていて困っているという話です。

私はそんな東北の色んな観光地を巡って、そこでホテルに泊まり、食事をし、お土産を買い、少しでもお金を落としていこう。

そしてこうしてブログに書いて、みんなにも東北に行ってもらおう。

そう考えました。


まあ・・・ちょっと色々とあって、ブログに書くのが遅くなりましたが・・・


そして実際に行った感想は、本当にびっくりするくらいに観光客が少ない事。

そして私が行って「ありがとう」と本当に感謝されたこと。

私はお金持ちじゃないし、落とせるお金もたかがしれています。

でも行った事が無意味だったとは思いません。


これを読んで「私一人が行った所で」と思っている人や、「みんな大変な時に、観光なんて迷惑では?」と思っている人が居たら、ぜひ行ってみてほしいです。

東北の人たちは、観光客が戻るのを待っています。

街が活性化されて元気にならないと、復興はかないません。

ぜひぜひ東北へ観光に行きましょう!!






7月16日東北&北海道の旅6日目
前日はほとんど移動でしたが、秋田に泊まらず、山形の酒田まで無理してきたのには理由があります。
どーしても新潟の新発田まで行ってから米沢へ向かいたかったからです。
これも結構強行軍ですが…

で、昨夜、酒田に泊まった私は早朝に宿を出て、新発田に行く前に、1ヶ所だけ行きたかったところが…

ここ山形県の酒田市は、とても小さな小さな田舎の市です。
何もない(失礼)・・・静かな町です。
でもこれで一躍有名になりました。

おくりびと

NKエージェント


この古びた建物に見覚えるのある人もいるでしょう。

映画「おくりびと」で、主人公の大悟が勤めていた葬儀社「NKエージェント」の社屋となった建物です。

そう、酒田は、おくりびとのロケ地なんです。

この建物、実は旧割烹小幡というお店屋さんだった建物なんですね。もちろん現在は廃屋になっています。

映画がヒットしたころは、結構たくさんの観光客がきたみたいですよ

私も「おくりびと」は大好きな映画なので、ちょっと感動しました。


で、いよいよ新発田へ移動。


新潟県、新発田市、新発田と書いて「しばた」と読みます。

ここは、忠臣蔵でおなじみ四十七士の堀部安兵衛生誕の地なのです。

堀部安兵衛、旧姓・中山安兵衛は、母親が新発田藩主溝口氏の家系で、やんごとなき家柄の出でした。父親の中山弥次右衛門は、200石を持つ藩士で、新発田城の辰巳櫓を任されていましたが、安兵衛が13歳の時に、櫓で失火が起こり、その責任を取って中山弥次右衛門は藩を追われ中山家はお家断絶、浪人となった父は間もなく死去、安兵衛はお家再興を決意して江戸へと旅立つのです。


新発田市の長徳寺には、その安兵衛が江戸へ立つ際に際に手植えしたという松が境内にあります。

堀部安兵衛手植え

この松は、実際には二代目で、安兵衛が手植えした松は老木の為伐採されて、その実が育って現在の松になっています。

ここ長徳寺は、安兵衛の父が眠る中山家の菩提寺でもあります。

境内には、義士堂があり、その中には四十七士の木像が奉られていました。

四十七志像

なんかちょっと怖いww

赤穂浪士マニアである私にとっては、もうここは外したらいけない場所ですね!

さてここからレンタルサイクルを飛ばして、5分ほどで新発田城に着きます。

新発田城

新発田城三階櫓


ここ、新発田城は、新発田氏が築城した城ですが、上杉景勝に滅ぼされ、その後関ヶ原の戦いで功名を上げた溝口秀勝が家康より、この新発田城を与えられました。

新発田城には天守は無く、この三階櫓が天守の代わりとなっています。

他の城と同じく、この新発田城も明治政府によって破却されましたが(もう本当に城好きとしては、明治政府は敵でしかありません)平成16年に、木造再現されました。

新発田城大手門

表門と石垣は、現存しており、国の重要文化財です。

石垣は美しい切り込み接ぎの布積みですね

もて門の梁は、立派な赤松でした。

こういうのを見るとワクワクします。

新発田城櫓

堀部安兵衛の父が任されていた辰巳櫓

これも復元されていました。

そして表門の道を挟んだ向かいには、堀部安兵衛の像が…

堀部安兵衛像

辰巳櫓の見える場所です。これは皮肉?

溝口氏もお家断絶煮などしなければ、末代まで仕える忠臣を手に入れられたのにね。

もったいなとことをしています。

追放になった身の安兵衛を、こうして未だに地元の勇として讃えている所を見ると、後世の人々は、本当にもったいない事をしたと思っているのでしょうね

城の前にある茶屋で、城を眺めながらかき氷を頂いて、新発田を後にしました。


さて、いよいよ、旅行最終の地、米沢へ





さて昨夜のうちに青森に戻ってまいりました。

青森の弘前です。
ここでの目的は、もちろん!弘前城です!!
ずっと見たかったんだ~弘前城。
日本にある現存天守12城の1つです。それも最北であるとともに、東日本ではただ1つですよ。

弘前城

弘前城の天守閣です。内堀側からのショット。

天守台の石が赤いのは、初代天守が落雷により焼失した為、焼けて赤くなったものだと思われます。

弘前城天守

で、こちらが天守の正面からのショット

独立式層塔型3層の天守です。この城の面白い所は、外から見た顔と、内から見た顔が違う所です。

上の内堀からの写真と、この写真を比べてください。同じ天守に見えますか?

内堀から見える東と南側には、破風を取り付け、切妻出窓を設けるなど、華美に見えるように作られ、内側の北と南面は破風も無く、連子窓があるだけの簡素な造りになっています。


天守というのは、本来、城の象徴的な建築物です。

元々はと同じ役割だったもので、大櫓と言った方が良いかもしれません。

城の中でもっとも大きな櫓・・・つまり最終防衛拠点で、国主(つまり殿様)が戦いの時に使う櫓…と言った方が分かりやすいかもしれません。

戦いの際に、城内が見渡せ、場外・遠方が見晴らせ、家臣・兵の動きが確認でき、敵の侵入を確認できる・・・それが櫓の役割です。

昔~昔は、天守というのはありませんでした。

城門櫓か物見櫓が一般的でした。

現在のような城の象徴である天守を最初に築いたのは、織田信長の安土城です。

それ以降、城に天守を築くのは流行のようなもので、技術が発達すると、どんどん天守も大きく華美になっていきます。

が、江戸時代以降は、五重以上の大きな天守は作っちゃダメって決まりごとが出来るのです。

なんでかというと、当然、天守は戦うための櫓って上に書きましたよね?

江戸時代、徳川が天下統一した世の中では、もう戦乱はないはず・・・つまり、天守はもういらないよね?って事なのです。

逆に大きな天守を作ったら「なに?戦うつもり?誰と?まさか徳川と?」って事になっちゃうのです。

昔からある天守はOKですが、新しく作るのはダメよって事になっていました。


で、ここまで説明して、ようやくこの弘前城天守の話です。

津軽氏が築城した時の初代天守は五重の見事な天守だったそうです。が、落雷により焼失。その後江戸時代に入ってから、新たに天守が再建されます。

という訳で、現在のような三重の小さな天守になってしまったのですよ。


は~、話が長くなっちゃった(笑)


で、ここで私がパシャパシャと写真を撮っていましたら、観光客のおじさんが私に声を掛けてきた。

「すみません、あれって、弘前城ですか?」

天守を指さして言う。

「はい、あれは弘前城天守閣ですよ」(さりげなく天守閣と言いなおす)

「ええ~、小さい~~~、がっかりだよ~、わざわざ見に来たのに~」

「ああ、まあ確かに小さいですけど、あれは最初の天守が焼失してしまい、江戸時代に建てなおしたので、最初の天守より小さく作らなければならなかっただけで・・・でも、現存天守の12個の1つで、国の重要文化財ですし、建築様式的にもとても面白く貴重なもので、名城だと思いますよ」

と、切々とガイドのように説明したのですが、おじさんには分かってもらえず「がっかりだ」と繰り返しながら中も見ずに去って行ってしまいました。

こっちががっかりだよ!
まあ城マニアではないただの観光客のおじさんだから仕方ない。

でもまあ、正直な所、この時の私は、少しばかりおじさんの気持ちが分からないでもなかった。

天守はいいですよ。私は大変満足しました。
他にも現存する櫓や追手門などもとてもいいです

弘前城櫓

丑寅櫓も現存の櫓で重要文化財です。


でも何が私をガッカリさせたかというと、ずばり!石垣ですよ。

場内のほとんどが土塁で、石垣は天守周りの一部のみです。

まあそれはいい。石が貴重で足りなかったのでしょう。

実際、城を作る際に、一番苦心したのは石の調達だといいます。

有名な話では、安土城を作る際には石が足りないので、神社・仏閣から、たくさん石像が押収されて、石垣として利用されていたり、姫路城を作る際に、民から石を普請してもらい、石臼などを石垣に使ったりしています。

秀吉が彦根城を作る際には、その前に居城にしていた長浜城の石垣を壊して、彦根城の石垣にしたという話もあります。

だから石垣が少なくて、他が土塁でも仕方ないです。


でも何が残念って・・・とにかく石垣の積み方が荒い!荒いというか・・・雑というか・・・美しくない!

例えばこれ。

ひどい石垣

一見、野面積みですけど・・・石は少し切り出して加工してあるんですよね。

でも打込み接ぎの乱積みというには、あまりにも荒い。

雑と言う意味で言うと次の2枚の写真を見てください。

ひどい打込み接ぎ


綺麗な打込み接ぎ

上も下も打込み接ぎです。

でも上の方は果てしなく野面積みのようですよね。乱積みにしては・・・

実はこの2つの写真の石垣、同じ並び(面)の続きなんですよ。

つまり写真を撮る時に横にスライドさせただけ・・・上の写真のすぐ横が下の写真という事です。


例えばですが、1つの城の中で、作った時代の違う石垣があることがあります。

1日目に行った会津若松の鶴ヶ城がそうです。

天守台は野面積みだけど、大手門周辺など、城郭を広げた部分は、後から増築したもので、時代によっては打込み接ぎになっていたりします。

でも上の写真の石垣には、後から継ぎ足したり、増築したような跡は無いんですよね・・・

もちろん何か理由があるのかもしれませんが、場内のパンフでも何も説明が無い。

そうなると、なんか雑に作ったようにしか見えず、石垣マニアとしては、萌えない残念な石垣なのです。



さてさて、弘前からまた移動です。弘前から秋田へ・・・でも今回はただの移動ではありません。

観光列車「リゾートしらかみ」に乗りました!!

リゾートしらかみ

日本海側を海岸線沿いに走る観光列車です。窓がとても大きくて、ゆっくりと景色を堪能できます。

千畳敷

千畳敷とか

日本海側

日本海は様々な風景が堪能できます。

途中は、鰺ヶ沢や十二湖、白神山地なども通ります。

途中いくつかの駅に数分ずつ停車するので、降りて記念撮影したり、駅のスタンプを押したりして楽しめます。

私は席の両隣に居た、30代ぐらいのお兄さんと、50代くらいのおばさん(二人とも一人旅)と仲良くなって、ずっとおしゃべりをして過ごしました。

秋田には18:50到着。

ここで夕食を摂りました。きりたんぽとか、めちゃめちゃ美味しかった!!

そしてこの日はさらに移動、明日の為に少しでも移動!

で、山形県の酒田まで行ってそこで宿を取りました。

明日は米沢だ!