三角西(旧)港 | 水元秀二郎オフィシャルブログ「秀二郎の独り言」Powered by Ameba

三角西(旧)港

娘と家でボケーっとしていると、

『休みなのに退屈‼️旅に連れて行け‼️』

と突然言い出す。

仕方ないので、どこか行こうと、

世界遺産になった

三角(ミスミ)西 旧港へ



以下引用


日本唯一の現存する明治の港湾施設「三角西港」
明治の港湾施設が完全な形で残っているのは三角西港だけ。
当時三池炭鉱の石炭積み出しは、有明海を挟んだ対岸の長崎県南島原市口之津港から行っていましたが、有明海は海底が浅く大型船の出入りが難しいことが大きな課題でした。

国を支える石炭積出港として大型船が接岸できる港湾を最先端の技術で造りあげた。
1880(明治13)年、日本国政府は内務省依属のオランダ人水理工師ローエンホルスト・ムルドルに熊本県下の港湾整備の調査を命じ、1884(明治17)年着工。工事は熊本県令富岡敬明(とみおかけいめい)の指示により、ムルドルが設計し、熊本県属土方平次郎(つちかたへいじろう)の総監督の下、グラバー邸や大浦天主堂を建設した小山秀(こやまひで)率いる熊本県天草の御領,下浦の石工集団が行い、熊本から三角までの道路建設と三角西(旧)港の築港を3年かけて1887(明治20)年8月15日に開港したといわれています。

ムルドルの設計、小山秀率いる石工集団、水も漏らさぬ設備が完成!
総延長756mに及ぶ石積埠頭、3つの浮桟橋、整然とした道路、排水路、石橋などは総合的な都市計画の下で築かれ、埠頭の石垣は対岸の飛岳から切り出した安山岩を切り、緻密で高度な石積みで形成されています。
背後の山からの水を流すため山麓に沿って排水路を設置し、直接海に排水するために町を縦断する2箇所の排水路を設けています。


上記な感じで世界遺産なんです!!


ちなみに暴風と雨で、日中は31℃あった熊本は

急に18℃

激的に寒くなった。