ケンタッキーフライドチキン | 水元秀二郎オフィシャルブログ「秀二郎の独り言」Powered by Ameba

ケンタッキーフライドチキン

創設者は皆さんご存知カーネル・サンダース

白髪のおじさんですね。

この人、実はガソリンスタンドのおじさんだったことを知ってますか?

そこに小さなカフェを作ってチキンが生まれたんです。

これがサンダースカフェ。

以下Wikipediaを引用

生い立ち編集

「カーネル・サンダース」ことハーランド・デーヴィッド・サンダース(以下、サンダース)は、1890年にインディアナ州クラーク郡ヘンリービル英語版で生まれた。ヘンリービルは、ケンタッキー州最大の都市ルイビルからオハイオ川を越え、北へ30kmほど離れた町である。父親はサンダースが6歳のときに亡くなり、母親が工場で働きながらサンダースとその弟妹を育てた。サンダースは10歳から農場に働きに出ている。学校は14歳で辞め、農場の手伝いや市電の車掌として働いた。

1906年、16歳のときに年齢を詐称して陸軍に入隊し、キューバで勤務した。彼の軍隊における経歴は一兵卒として終わっており、大佐(カーネル)どころか下士官にすらなっていない。1907年に除隊した後は、青年期にかけて様々な職業を渡り歩き、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員、フェリーボート、タイヤのセールスなど40種に上る職を転々とした。30代後半にはケンタッキー州ニコラスビルガソリンスタンドを経営するようになるが、大恐慌のあおりを受けて倒産するなど、多くの波瀾を経験した。

「サンダース・カフェ」とフライドチキン編集

1930年、サンダースはケンタッキー州の コービン英語版(正確にはコービンの北隣で、ノックス郡ローレル郡にまたがるノースコービン (North Corbin, Kentucky)に移り住み、ガソリンスタンドの経営を始めた。道を尋ねに来た程度でも誠意のある接客をしていた。

1930年6月、ガソリンスタンドを利用した客から言われた一言から、ガソリンスタンドの一角に物置を改造した6席のレストラン・コーナー「サンダース・カフェ」を始める。サンダースはガソリンスタンドの支配人と調理師とレジ係を兼ねた。州の南北を貫く幹線道路である国道25号線英語版に面した店は繁盛し、規模を拡大した。1935年には「州の料理への貢献」が評価されて、ケンタッキー州のルビー・ラフーン知事から「ケンタッキー・カーネル」の名誉称号を与えられた。

「サンダース・カフェ」は、1937年にはモーテルを併設した142席のレストランに成長した。1939年には店舗が火災に見舞われるなどの災難もあったが、1941年にはコービンに147人収容のレストランを再建した。現在この店舗は博物館 (Harland Sanders Café and Museumとなり、アメリカ合衆国国家歴史登録財となっている。

「サンダース・カフェ」の目玉商品がフライドチキンであった。1939年に導入された圧力釜を用いた「オリジナル・フライドチキン」の製法は、以後70年以上にわたって「オリジナル・レシピ」として引き継がれている。


サンダースが、各地のレストランの経営者や従業員にフライドチキンの調理法を教えて売れたチキン一羽につき5セントを得るという新しいビジネスモデル(フランチャイズ)を始めたのは、1952年である。この年、ユタ州ソルトレイク市のピート・ハーマン が最初のフランチャイジーとなり、フランチャイズ一号店が開業した。「ケンタッキー・フライドチキン」(KFC)というブランド名は、このときハーマンによって提案されたものである。

1955年、コービンの町外れを通過する州間高速道路州間高速道路75号線)が開通すると、車と人の流れは変わり、国道沿いのサンダース・カフェには客が入らなくなった。サンダースは維持できなくなった店を手放したが、負債を返済すると手許にはほとんど残らなかった。以後サンダースは、フランチャイズビジネスの普及に努め、フライドチキンをワゴン車に積んで各地を回った。1960年には米国とカナダで400店舗、1964年までに600店舗を超えるフランチャイズ網を築き上げた。

1964年、74歳のサンダースは、KFCの権利をジョン・Y・ブラウン・ジュニアに売却して経営の第一線から退いたが、以後(直訳すれば「会社の広報担当 」。日本法人の表現によれば「味の親善大使」)として働いた。サンダースは製法が守られているかを確認するために世界各国に広がった店舗(1979年には6000店舗を数えた)を見て回った。

1970年にKFCが進出した日本には、1972年10月、1978年6月、1980年5月の3度訪れている。KFC日本法人によれば「日本のKFCが一番気に入っている」と述べていた。

凄い人だ。
挫折しても、転んでも起き上がり、世界的に有名な店を作り上げ現在も店舗があり、歴史に名前を残している。
努力の賜ですね。
人は努力なくして生きてはいけない。
ガソリンスタンドから小さなカフェ、小さなカフェから世界のチキン屋さん。
凄いっ。