京都 聖護院門跡 富士山峰入り修行をちょこっと見学 ③ 「村山古道」の同窓会 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

禊の前後の空いている時間は畠堀操八氏と一緒に写真を撮る人がたくさんいらっしゃいます。

挨拶にいらしたのはさとぶんさん。

ふじ爺さまの「村山古道」山行ではいつもしんがりを務めてくださいます。この春からは3回ご一緒させていただきました。

 

 

 

伊豆半島の歴史等に造詣が深く、『伊豆峰次第』に則って歩き、研究を続けている船本祐司さま。伊豆山神社、日金山、村山からの下校道等一緒に歩き、計画なさった講演山行等にも参加させていただきました。

これからも何か どえりゃあ ことをなさりそうでとっても楽しみな方です。

 

 

 

A君。昨年の峰入り修行に初めて会って以来、2〜3回一緒に歩いています。

 

 

 

A君、とってもかわいいの! 知っている人たちに折り紙を作っていて、折り紙を開くと「◯◯さん がんばれ」の文字が立方体に書かれているのです。

 

 

 

それも密封袋に入れてきて、ポケットに入れても汗でぐちゃぐちゃにならないようにとの心配りもしてくれているのです。

 

 

 

ふじ爺さまとも写真を撮っていただきました。

いつもマスクをしていらして、真夏に富士山御中道の主杖流しから富士山頂に登るという荒行をなさったときもマスクをしているのですよ。マスク無しの写真って珍しく、素顔をばらしちゃって良かったかしら。

☆ふじ爺さまが田子の浦からの荒修行をした時のブログをご覧くださいませ、尋常ではありません。特にお中道から主杖流し(執杖流し)を山頂まで登るところは壮絶。御中道歩きのブログはここから始まります。

 

 

 

いつも富士山峰入り修行に参加していらして顔は存じ上げていても話すのは初めてのK様。地元の方でこの辺の地理や歴史を話してくださいました。

何トンもあるテトラポットも大きな台風がくると動いてしまうのですって。

私も、初めて田子の浦を知ったのは、子どもの頃の百人一首だったこと。そのあとは何歳のときだったか、週刊誌のグラビアで白茶色の泡だらけの海を見たこと。30年くらい前に青春18きっぷで富士山を一周した時、富士駅で身延線への乗り換えの時に、少しの間外に出たら異臭がしたこと。

すべて製紙業による公害ですね。

2008年に『富士山 村山古道を歩く』の本を持って吉原駅で下り田子の浦に行った時は、匂いはなくなり綺麗な海になっていた事などを話しました。

私の記憶はあっていたみたいです。

 

 

 

禊後の着替えが終わったようです。

土屋鳴岳師。昨年の禊の様子を海の中から撮ってYouTubeに載せています。

 土屋四郎「聖護院門跡 富士山嶺入修行2023年夏 鈴川海岸 水ゴリ行」

そのほか、富士山頂で行われた柱源護摩供の動画も。

 

 

 

村山の次代を担う鈴木翔大師。

ただいま京都の神社で修行中、でいながら、山伏姿。村山は神仏習合ですからね。明るい性格が皆に好かれ頼られています。

 

 

 

いくら目をつぶってしまったからって、

 

こんなにひょうきんな必要はないでしょう。修験僧らしくいかめしくしていて下さいな、高井彰玄師。

 

 

 

中村慶海師にしてもそうですよ、そんなにおどけなくっても・・・。どうぞ聖護院の梵天のカラーにふさわしいように振る舞ってくださいませ。

でも、峰入り修行に参加できなくなって落ち込んでいたムラヤマフジコちゃんの気持ちがおかげさまでとってもアップされました。皆さま有難うございます。「村山古道」の同窓会に参加したような明るい気持ちになりました。

 

 

 

ローリング父さん、いつも有難うございます。

今日(9月11日)も富士山の写真を送ってくださいました。

ローリング父さんは仕事があるので、いつも初日のみの参加。それも車で伴走して荷物を運ぶとか、体調が悪くなった人のフォローという重責。

峰入り修行に全部参加できるのはまだ何年か先のようです。

 

 

 (つづく)