この記事は 2022年に私が体験した事を「回想」として綴ったものです...
富士山最古の登拝道「村山道」は、春夏秋冬 様々な姿を見せてくれます。ふじ爺は これまで何度も歩いていますので、これまでのベストショットを織り込みながら綴っていきます。  

7月29日 PM17:34に 海抜0mの田子の浦 鈴川海岸をスタートして、村山道での勤行先(札打ち)及び修行場を巡拝しながら、約24時間32分 37.9kmを歩き続け、「村山口 旧四合目(現富士宮口 新六合目)」まで登って来ました。
富士宮口 新六合目の雲海荘に宿泊し、日付が変わり、この回想28からは7月31日となります。

峯入りの道中では、友人たちから LINEで応援メッセージを多く頂き、とても有難い気持ちで、胸が熱くなりました。そして富士山頂まで応援に駆け付けてくれる友人たちも居ます。その友人たちに会う約束をしていますから、これから富士山頂へと歩を進めます。

通常、富士宮口登山道を利用して山頂を目指しますが、今回は「役行者が始めた行法」と伝えられている「御中道」を進み、中世以前(平安時代後期)の古の修行道でもあった「執杖流し」(しつじょうながし)から直線状に登って行きます。
富士山の噴火が休止した平安時代末期から、修験者が富士山で修行を行う様になったといわれています。
その中で最も著名な人物が「末代上人」で、1132年(長承元年4月19日)に初登頂し、その後数百回もの登拝を繰り返し、「富士開山」した人物です。
また末代上人より過去に登頂した修験僧は「金時上人」「覧薩上人」「日代上人」などがおり、それらの修験僧は御中道から剣ヶ峰の岩稜「親不知子不知」(おやしらずこしらず)に向かって執杖流しを登ったのではないかと推測します。

また、村山の富士山興法寺 池西坊発行の『蓮嶽真形図』(れんがくしんけいず)では、剣ヶ峰の麓 外輪内側に「執杖流」と記されていますが、これは剣ヶ峰の切り立った岩稜である「親不知子不知」の事で、いつしか、剣ヶ峰の外輪外側の溶岩流を「執杖流し」と呼ぶようになった様です。
蓮嶽真形図によると「執杖流」は富士山頂のうち村山支配領域の目印となった地名であり、山頂大日堂右手の「俵石」から「執杖流(手杖流)」までが村山持ちで、残りが大宮の浅間大社持ちでした。

執杖流しの「流し」は溶岩流跡を差します。そして「執杖」の由来は 執達状ではないかとされています。
執達状とは御教書(みきょうしょ)の事で、平安時代後期から室町時代にかけて三位以上または、それに准じる地位にある人の家司が、主の意思を奉じて発給した古文書の形態をいいます。
↑【参考資料】御中道と溶岩沢の地名です。
↑AM3:05..おはようございます♪ 
雲海荘には連泊するので、不要な荷物は宿泊した部屋に置いて行きます。
しかし、軽くなったとはいえ ザックを含め8.5kgくらいあります。富士山の天候は変わりやすい事と、今回 バリエーションルートを登る事もあり、不測の状況に対応出来る様にするための登山用品を詰めていますから、それなりの重さになります。その中、スマホのモバイルバッテリーだけで2kg(1kg×2個)もあります。

AM3:43..雲海荘を出発して、富士宮口を登って行きます。
↑AM4:07..旧五合目 山小屋跡からのブルーアワーです。(海抜2600m)
太陽が地平線に対して 0度から-4度で、日の出の直前や日没直後の時間は 空が濃い青色になることからブルーアワーと呼びます。

ここの山小屋は 平成初年まで営業していました。
寛文4年(1664年)伊勢鈴鹿郡、小野村住人が再建し、万延元年(1860年)庚申 富士山御縁年に日蓮大菩薩を祀る祖師堂と宝塔が建立されたという記録があります。現在、これに関連すると考えられる「題目塔」を 山小屋跡の東側に確認出来ます。
↑AM4:08..こちらが、旧五合目 山小屋跡 東側に建立されている「日蓮大菩薩 題目塔」です。
これから御中道(おちゅうどう)へと歩を進めます。
↑AM4:23..大沢崩れ方向に御中道を歩いていると、碑伝木が置かれていました。
↑AM4:28..御中道(中禅定道とも呼びます)は 標高2600m辺りを上下しつつ並行し一周する道です。
富士講においては 富士山頂登拝よりも大行とされ、八海巡りを終え、3回以上 頂上参拝を果たした者しか許されなかったとされています。
また御中道の経路は 自然環境の影響を受けやすく、幾筋の溶岩沢を跨ぐので、多くの変遷がみられます。
↑AM4:36..7月31日の日の出は AM4:53です。
ブルーアワーからマジックアワーになって来ました♪
↑AM4:38..正面に「赤沢」が見えて来ました。
写真でも分かる様に、斜度は50%(傾斜角度 約30度)くらいあります。
↑AM4:39..「赤沢」の溶岩流の上に立ち、山頂を見上げると、遥か遠くに剣ヶ峰が見えます。
↑AM4:41..マーキングに習い、執杖流しの出合へと歩を進めます。
青色の線が 田子の浦 鈴川海岸からスタートして、古代東海道→旧東海道→村山道→村山古道を歩き、御中道 赤沢までのルートですが、この回想28からは 3D画面の都合上、富士宮口 新六合目 雲海荘からのルートとなります。
これから、更に御中道を進み「執杖流し出合へと歩を進めます。

つづく...