松浦武四郎著『丁亥後記』には、前回載せたように、「東京やと云に宿を頼。」と書かれています。(明治20年・1887年8月24日)
この写真は2009年8月撮影の「頂上 東京屋」。
中央の男性は「扇屋」を拠点に活躍する写真家・小岩井大輔氏。
室の後ろ金石(名?)水と云靈泉あり。釋迦の割石、小内院、馬背、大難所、劍岳等、是を御はち廻りと云。此處第一の高岳なり。
写真は「朝日ビジュアルシリーズ 日本の世界遺産03」より
明治35年(1902年)に「富士登嶽團 京都探遊會」というグループが、富士山の麓の鈴川停車場(現JR東海道線吉原駅)から富士登山をしました。
そのアルバムを富士市の郷土史研究家・奈木盛雄氏から畠堀操八氏が直接お借りしました。(現在は富士市立かぐや姫ミュージアム所蔵)
京都探遊会は富士山南麓を見学したあと、富士宮浅間大社から村山浅間神社、村山古道を登り富士宮ルートで頂上へ。お鉢巡りをして須走ルートから下山し、数人は上野や浅草に回って帰ります。
松浦武四郎は吉田ルートから登り、富士宮ルートで下山しました。京都探遊会の登山よりも15年前、様子は似ているのではないかしら。
京都探遊会が訪れた時の金明水。賑やかですねえ。
松浦武四郎が「室の後ろ金石(名?)水と云靈泉あり。」というように、富士の霊水として富士講道者らは貴重な土産として、時には薬として珍重されたようです。
2009年8月に写した金明水です。一滴も水はありませんでした。
「大難所、劍岳」。京都探遊会が登った時の最高峰、剣ヶ峰です。
1997年8月23日に撮影しました。まだレーダードームがあります。
廿五日(8月25日)、前四時起て四方を眺望する間に東方白ミ、
少し雨雲ありしが、旭の上る邊りハ少しもさはらず。拜して出立。
(2004年8月撮影)
勢至窪に至るや向崖に虹の如く輪幾重ともなく立しが、中に彌陀か、大日か、釋迦か、我か、松平か、合力かしらず、金龜の立像嚴然と顯れたり。御来迎と云も尤也。
ブロッケン現象のことですね。
この写真は2003年8月23日、北岳の頂上での写真です。髙溝直子さんが写してくれました。
(つづく)