三つ又に枝分かれしているのはイチョウの木、銀杏(ぎんなん)畑です。
この辺りは茶畑が多いけれど、樒(シキミ)畑、銀杏畑、そうそう、苔(こけ)畑も見かけます。
これは4番目の道しるべ。
右の道の右側に富士山は見えるのだけれど、ここは「左 村山道」です。
えーっ!光るように赤茶色になっているこの苗木は何? 杉かしら。
赤褐色の苗木、葉を落としたイチョウ畑、その向こうに富士山。この地域ならではですねえ。
5番目の道しるべは富士市大渕次郎長町にあります。この辺りを覆盆子平(いちごだいら)ということを最近になって知りました。
右の道を10分くらい進むと白髭神社があり、そこに連なる一室に清水次郎長(本名 山本長五郎)の写真が飾られているのを見たことがあります。
1874年(明治7)に次郎長はこの地の開墾を進めました。失敗には終わりましたが、その後の開墾の基礎を築いた人として「大侠次郎長開墾記念碑」という石碑もあります。
今年2月14日にも訪れています。こちらに載せましたので是非ご覧くださいませ。(2024年2月26日掲載)
村山修験と深く関わる八大金剛童子と彫られた石碑。
ふじ爺さまは八大金剛童子の名を全部ご存知でしたが、私は矜羯羅童子と制吒迦童子、わずかに慧光童子くらいかな。
この道しるべは2012年暮れに大渕町の有志の方が建ててくださったもの。それまでは自販機が右折の目印になっていました。最近になって自販機は外されましたね。
淡いピンクの小さな桜は富士桜? マメザクラとも言うかしら?
「ようこそ村山道」の置き石。周囲には花なども植えられています。初めてきた時は草ぼうぼうの細い道で歩くのがためらわれるほど。
おそらく京都聖護院の峰入り修行が復活したのに合わせて大渕町の方が整美してくださったのではないでしょうか。峰入り修行のときは、5番目の道しるべ辺りから大変な歓迎ムードが感じられます。昨年、凍ったハンドタオルを広見公園まで届けてくださったのも大渕の方でした。
村山道はガードレールの向こうの畑の中の道へと続きます。
この辺りは火山灰地ではなく肥沃な土地のようです。ネギが植えられているのを見たことがあります。
道を背にして立つ石像群。ここからも富士山が美しい。
村山道はこの石像群に沿って右に曲がります。けれど、ふじ爺さまのブログで知った場所へ行きたいとお願いし、ここは右折せずに左方向へ直進。
富士山をバックに富士山の岩石で積み上げた上に屋根のついた祠。銅葺きでしょうか。「馬頭観世音」と彫られています。初めて来ました。
双体馬頭観音とお地蔵さま。この辺は双体の馬頭観音が多いでしょうか。他ではあまり見かけませんが。
通り過ぎてきた石像群まで戻って、村山道を歩きます。
この集落内だけで火伏せの神を祀ったバンヤ。
富士山がぐっと近づいてきたような気がします。
左の急な坂を登って行くのですが、今日は静か。前は子どもたちが「こんにちはー!」とか「がんばってくださ〜い!」と声をかけてくれたのですが、皆、大きくなってしまったのでしょうね。ちょっと寂しいです。
水神のところまでやってきました。あと30分くらいで村山浅間神社に到着できるでしょう。
(つづく)