”ふじ爺”さまと歩く「村山道」 ④ ✿ 日本製紙鈴川工場行幸啓記念碑 河合橋 馬頭観世音菩薩 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

すみれがあちらこちらで迎えてくれて嬉しいけれど、全部を撮っているわけにはいかない。でもこれは特別! JR東海道線の鈴川踏切で、両側に上りと下りのレール。

 

 

 

踏切を渡りきると、正面に日本製紙鈴川工場。中に鳥居が見えて、天皇陛下 皇后陛下 行幸啓記念之碑。

昭和32年(1957年)第12回秋季国民体育大会が静岡県で開催されました。その開会式に行幸なさった昭和天皇と皇后の両陛下が、10月29日、産業奨励の意味で鈴川工場をご視察になられたということを、ふじ爺さまが後から調べて教えてくださいました。

 

 

 

あれ? この馬頭観音の後ろは「吉原駅前駐車場」の趣のある渋い建物があったのに、今は空地になって間が抜けた感じになっちゃった。畳工場もあったかな? この辺に来たばかりの頃、写真を撮ったはず。載せたくて懸命に探したけれど、見つからなかった。

 

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ふじ爺さまが2020年11月29日に撮影したものを送ってくださいました。

ありがとうございます。

翌2021年3月28日に歩いた時は更地になっていたそうです。

(19:20 更新しました。)

 

 

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沼川にかかる河合橋から富士山が見られるなんて久しぶり。今日は恵まれています。

 

 

 

明治35年の奈木盛雄氏所蔵の河合橋の馬車鉄道の写真です。

「富士登嶽團 京都探遊會」の方たちが沼川をわたるところです。

鈴川停車場(現 吉原駅)から大宮町(現 富士宮市)までの14.1kmを富士馬車鉄道が走っていました。

2020年4月28日にも載せましたので緑字をクリックしてご覧くださいませ。

 

 

 

馬車鉄道ということで思い出しました。

前回載せた六地蔵の向かい側に地蔵堂があり、その横に2基の石碑がありました。どちらも「一日千里を走る大きくて強い馬」とか「たてがみの黒い白馬で、大変優れた馬」というような意味の熟語が彫られていて、この碑を建てた大久保という人の本名は曽我梅吉。清水次郎長につぐ大親分だったって。馬喰を商売としていて、この富士馬車鉄道の馬を一切賄っていたのだそうです。その馬を葬ったのがこの石碑だったのですね。

 

 

 

「左富士神社」に着きました。明治11年3月までは「悪王子の森」と呼ばれていたそうです。

延宝8年(1680)に高潮が中吉原宿を壊滅させた時には、「悪王子の森」のみ水難を逃れ、逃げ込んだ多くの人の命を救ったとか。

「悪」って、「とても強い」とか「素早い」などという良い意味もあるのですよね。

 

 

 

左富士神社の境内に依田橋村の一里塚。日本橋より34番めということは、日本橋から約136kmということ?

 

 

 

今日こそは富士山がちゃんと見えるでしょう、と期待していました。

東海道を江戸から京都に向かう時、常に富士山が見えるのは右側。この場所と南湖だけが左側。それで左富士。

 

 

 

歌川広重の「左富士」。前方左に富士山、右に愛鷹連峰。馬子がひく馬に、3人の旅人が乗っています。興味深い絵ですねえ。

 

 

 

南無妙法蓮華経の髭題目 左富士 馬頭観世音菩薩と彫られた石碑。

 

 

 

祠を開けて中の馬頭観音を拝みます。ここに立ち止まったのは何年ぶりのことか。この緩さ、いいですねえ。ついて行かれるかしらと心配していたけれど、このペースなら大丈夫そう。

 (つづく)