奥沼津アルプスの大平山から下りてきて、最初に目に入ったのは沼津垣の民家。
「あ〜っ!ぬまずガキ!!!」
嬉しい出会いでした。
2018年5月のことです。
ローリング父さんが『東街便覧図略(とうかいべんらんずりゃく)』の巻五、巻六、巻七を贈ってくださったのです。
名古屋市博物館が刊行した『猿猴庵(えんこうあん)の本』全七巻のうちの、東海道の吉原から江戸の品川・高輪までを描いた3巻です。
ローリング父さんは東海道原宿にある「帯笑園」にも差し上げたそうで、原宿の頁を見て「沼津垣」が描かれていることが注目され話題になったそうです。江戸時代から「沼津垣」は有名だったのですね。
沼津垣の上から見える赤い椿が美しい。原駅を過ぎた今沢というところに椿林があって、近くに椿をご神木にした椿明神社があったそうです。
ローリング父さんは沼津御用邸をも見学して、御用邸の沼津垣の写真を送ってくださいました。
そのようなわけで、私の中でも「沼津垣」が強くインプットされていたので、緊張感漂う大平山から下山してきて初めに目に入った「沼津垣」は大変な感激でした。
先日、ローリング父さんや畠堀操八氏、富士山村山古道仲間と谷中の石工「廣群鶴」を訪ねた時のこと(2015年2月・8月)を載せました。(3月15日〜3月19日)
その時に谷中霊園の竹垣マップをいただきました。残念なことに沼津垣はないのですね。
2015年に頂いたもので今とは違うかもしれないけれど、竹垣に焦点を合わせて谷中霊園にまいるのも悪くなさそうですね。(やりそうな予感!)
✿ 猿猴庵…本名は高力種信(こうりきたねのぶ)(1756〜1831)。尾張藩の警備が本職の中級藩士でした。町人文化が花開いた文化文政期の名古屋城下で、寺社の宝物開帳、祭り、見世物、珍事などを絵と文で記録しました。
✿ 『東街便覧図略(とうかいべんらんずりゃく)』…熱田から品川まで、尾張以東の名所名物を絵と文章で記録しています。売ることよりも記録することに力を注いだため、猿猴庵独自の観察眼が随所に発揮されています。
本は江戸にいる9代藩主宗睦に献上され、座右の名所となりました。ところが本を預かっていた屋敷が火事になり焼失してしまいました。幸い本を気に入った水戸藩家老が模写本を作っていました。それを踏まえて猿猴庵が再び筆をとり、1810年に再編にこぎつけました。
(2018年、ローリング父さんが送ってくださった資料によります。)