地下鉄の地上を歩く会 丸の内線-7④ ✿ お岩さんは人気者! 左門町に於岩稲荷田宮神社と陽運寺 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

 左門町(新宿区)には東海道四谷怪談でお馴染みのお岩さんに所縁のお岩稲荷が道をはさんで2ヶ所あります。

 

 

 


 一つは長照山陽運寺、日蓮宗の寺院です。

 

 

 


 於岩稲荷の提灯がかかっているけれど、鰐口が吊るしてあるから陽運寺の本堂なのかしら。

 

 

 


 狭い境内には所狭しとお岩さんに所以したものが配置されています。
「龍神様の手水はお岩さまも使用したと伝わる御霊水」、「お岩さま縁の井戸」、「於岩水かけ福寿菩薩」等々。

 一角にはお抹茶と和菓子をいただけるコーナーもありました。

 

 

 


 一方の田宮稲荷神社は1879年(明治12)の火災で焼失し、中央区新川に移りましたが、戦災で焼失。戦後新川で再建されましたが、四谷のこの地にも再興されました。

 

 

 


 説明板によると、お岩稲荷のもととなった「田宮稲荷神社」は御先手組同心田宮家の邸内にあった社だそうです。娘のお岩さん(寛永13年 1636 没)が信仰し、養子伊右衛門とともに家勢を再興したことから「お岩さんの稲荷」として人々の信仰を集めたようです。

 文政8年(1825)に「東海道四谷怪談」が初演されると更に多くの信仰を集めるようになりました。でも、実際のお岩夫婦は怪談とは大きく違って円満だったそうです。「東海道四谷怪談」は200年近く経ってから鶴屋南北が作った歌舞伎ものですものね。

 

 

 

 あら、鳥居の前に「渋谷三業料亭組合」と彫られた玉垣!今はあり得ないでしょう?

 新川の於岩稲荷田宮神社、左門町の於岩稲荷田宮神社と陽運寺、どうして、お岩稲荷が複数あるのでしょう!?
 「単純に儲かるためである」とWikipediaでは言い切っています。男性の浮気封じで花柳界からの信仰を集め、賽銭のほかに土産物などで地元経済が潤っていたからです。まさに陽運寺は於岩稲荷田宮神社が新川に移転した際、地元に名物が無くなり困った地元の有志が立ち上げたものですって。

 

 

 


 地元の有志の気持ちが通じているのか、日曜日の左門町は混雑していました。(平日はそうはいきませんよ。)
 (つづく)