次第に道に傾斜がついてきたかななどと思っていると、左側に諏訪神社。
御神木は樫の木でしょうか、その迫力に思わず一周!
10時30分、青空も広がってきて本堂前で服の調節をさせてもらいました。
三の鳥居。江戸の火消し「せ」組が建立したもので、「せ組の鳥居」とも呼ばれているそうです。
畠堀操八氏に案内されて、「大山駅」バス停の駐車場の奥の道に進みます。
慈雲山観音寺跡という表示と「観音のいらか見やりつ花の雲」と芭蕉の句が掲げられています。
左の石碑は芭蕉の句が刻まれているようです。
畠堀操八氏が配ってくださった「江戸時代の大山想像図」(『相模大山 大山今昔史跡巡り』宮崎武雄著)には観音寺が載っています。
明治初年の「神仏分離令」をはじめとする廃仏毀釈の動きで観音寺は廃寺となり、墓地だけが今も残っていました。
仏教式の戒名が刻まれた墓石に代わって、神道式の「命」などがつく名前が刻まれた墓石が混在していました。