身延線 富士根駅から停車中に撮影 8:19
10月1日(土)、朝のうちは晴天に恵まれました。
高鉢駐車場に車を1台デポして、富士宮口五合目駐車場へ。(標高2380m)
山小屋は閉じているのに、駐車場はほぼ満杯。
駐車場から見た富士山頂(3776m)は下から見上げる姿とは大違いですね。
駐車場の東端から宝永遊歩道へ向かう頃からガスってきました。9:59
5分と経たないうちに村山古道との交差点に着きました。
ここから村山古道を下ります。
聖護院の富士山峯入り修行や、大和修験の碑伝(ひで)が並ぶ一ノ木戸到着。10:30 標高2150m
この一ノ木戸は往時村山修験の修行場。
当日の目的はこの修行場から須山口登山道の修行場へ通じる道があったという想定でその道を探索することでした。
ところが、ローリング父さんがこの周辺で修行の洞穴を見つけたということで、急遽案内していただくことになりました。
危険なら私はやめようと思いましたが、なんとか無事に到着。
ローリング父さん
『修行には、五人とか六人とか、だいたい三人ぐらいのものが参加しますが、新入りの者がそこに参加して行をすると、肝試しをこの晩やります』
畠堀操八氏
『夜中にちょうどいい頃を見計らって、その新参者を起こして同時に目隠しをしてしまう。先輩の背中におんぶして、ぐるぐる回って方角がわからなくなります。それから直線には歩かずに遠回りしたり、木をぐるぐる回ったりしていくと一つの洞穴があります』
伊藤昌光氏
『枯れ枝や枯れ葉を敷き詰めて座るように作っておいた洞穴に座らせて、「朝迎えに来るまで、一晩中目隠しは取るな」と言い置いて先輩は皆帰ってしまうそうです』
ムラヤマフジコちゃん (ローリング父さん写真提供)
『初めて連れてこられて、しかもその辺りは鬱蒼とした森林地帯ですから、ただでさえ薄気味悪く、風が吹いたり、木の枝が鳴ったりすると空恐ろしさに寝るどころではなく一生懸命に経文を読んで夜をあかしたという話です』
遠藤秀男氏(地誌研究家 富士山研究家)が、秋山法印(この地区では ほうえん と言っています)が語ったことを「村山法印の峯入り修行」という講演で話したことが『駿河』(駿河郷土史研究会 9月号 昭和43年2月)に載りました。
そのコピーを畠堀操八師匠から10年くらい前にいただきました。
『 』内はそのコピーを参考にして書きました。