京都探遊會は富士登山を終えて須走村(静岡県駿東郡小山町)に下りてきました。
今までに劣らず興味ある写真です!
須走の町は富士講の登山者が利用する宿が栄えていたのでしょう、「米山館」にも「大米谷(おおごめや)」にも沢山の「まねき」が掲げられています。
2対のレールは御殿場馬車鉄道のもの。
今の御殿場市からここ須走村(小山町)を経由して、現・山中湖村まで通っていたそうです。
警笛代わりに御者が鳴らすラッパの音から「テト馬車」と言われていたとか。うーん、ラジオかなにかで知っていたのかしら、懐かしく感じるんですが。
京都探遊會の人たちは今の吉原駅の鈴川停車場からも馬車鉄道を利用しましたね。
「まねき」が沢山かかっていた「米山館」は、今は「ホテル米山館」になっていて、ご主人が明治35年の写真を見ながら、街並みを説明して下さいました。
明治35年の写真とほぼ同じ場所から写しました。
「大米谷」は廃業して引っ越し、今は「松葉寿し」になっています。
中央左の山影は富士山。
道の突き当りの森は「東口本宮冨士浅間神社」です。
探遊會の人達も無事の下山を報告したことでしょう。
この石造の大鳥居は明治33年に寄進されたものなので、探遊會のメンバーもきっとくぐっていますね。
「不二山(二つとない山)」と扁額に刻まれています。
富士山、冨士山、不尽山、不死山・・・
♪まさかりかついで きんたろう
くまに またがり おうまのけいこ
ハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウ
ハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウ ♫
思わず謡っちゃいそうです。
フジアザミも元気よく咲いていますね。
JR東海道線の吉原駅を皮切りに、ずっと京都探遊會の人たちと同行してきましたが、奈木盛雄氏所蔵の写真はここ須走村で終わります。
でもまだまだ続きの話がありますよ。