思い起こせば、あのときが始まりだったのかも・・。 | 「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう

「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう

アトピー&食物アレルギーを持つ子供を育てて30年が過ぎました。
夫と別居し、娘とふたり暮らしを楽しむため、見ないふりしてきためんどくさいことに向き合い始めてます。


前回からの続きです。



今から5〜6年前
私は、飲食店で働いていた。

そこは、回らないお寿司屋さん。

まー、ホントにブラックなお店で
店で働く男の子は、ミスすると
厨房のはじで、店長にケリを入れられていた。

さすがに私には
手こそは出されなかったけど
言葉の暴力はひどくてね。

1日に5回は、店長に
「死んでください」
って言われていた。

お店が忙しいときは馬車馬のように働かされ
暇になると、すぐにお店から放り出された。

飲食って、そんなもん
そう割り切ってたけど
最初の頃は
仕事が終わり家に帰ると
泣いていた。

毎日毎日泣いていた。

でも、生活のために
私は働くしかなくて
シフトに入れてもらった日は
一生懸命働いていた。




でもある日
もう、仕事やめよう
って思った。

6年も、そんな環境で働いていて
いろんな感覚麻痺してきて
死ねとかバカとか言われても
悲しくなることもなくなったけど

もう、仕事やめよう
って本気で思って
ハローワークに通い始めた。



いばらの転職活動の始まり

そのとき私は、50歳目前


続く