受験って | 「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう

「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう

アトピー&食物アレルギーを持つ子供を育てて30年が過ぎました。
夫と別居し、娘とふたり暮らしを楽しむため、見ないふりしてきためんどくさいことに向き合い始めてます。

私が親として受験生の子供を支える・・・という仕事が終わりました。

下の子供が「受験」という一大事をこの3月に終え、次に私が「受験」と向き合うのは、孫の・・ということになるのかも。

子供にとって受験というのは、人生の一大事。
自分の進路を決める、人生を左右するとも言える一大事でしょう。

子供も大変ですけどね。
親はそれ以上に大変なんですよね。(親の立場としての見解ですが・・・)

上の娘は、一浪しました。
当時、下の息子とのダブル受験でわが家はごった返していました。
3つ違いの姉弟関係だと、当然のごとく、このダブル受験という事態に遭遇します。

親の気持ちとして、高校浪人はさせられない・・・という思いがあるので、自動的に下の子供に関心というか、気持ちがいきがちでした。
大学は、最悪浪人してもいい・・・という思いがあるので、結構娘のことは娘任せにしていたところがありました。

でも実際「浪人」という現実を目の前にすると、親として「もっと娘のことを見てあげていれば」とか、「どうしてほっておいたんだろう」とか、ものすごく後悔というか、自責の念がフツフツとこみ上げてきました。

だって、1年間「浪人生」という肩書だけで、子供が幼稚園に入園してから初めて何にも所属しない1年を送ることになるんですからね。

一応私の肩書は「主婦」か「パート」です。
浪人生の場合、どこにも引っかからないんです。「浪人」は学生でもないし、フリーターでもないし。

「予備校生」「浪人生」という肩書は、あってもつらすぎるみたいですけど。

娘がよく言っていたのは、
「宙ぶらりんな感じ。なんとなく居場所がない」

もう一度、受験に向かうつらさもありましたが、自分がどこにも所属していない宙に浮いたような感覚もつらかったみたいです。

翌春、晴れて大学に合格し、「大学生」という肩書を勝ち取り、学生証を手にした娘は、
「これで学割が使えるーーー」

うーーーーん。
それだけではないと思いますけどね。

みんな浪人生を抱えてることをあんまり人には知られたないのか、当時「浪人生を持つ親のつらさ」を共感し合える相手がいませんでした。

お母さんも「つらいよー」と気持ちを外に向けるのが、実はとっても大事だと思います。
「子供もつらいんだから」
と自分を横に置かないで、自分もガス抜きしましょうね。

私の話が誰かのお役に立てていれば、こんなにうれしいことはありませんが・・。

今日も読んでくださった方、ありがとうございますm(_ _ )m