新学期ですね | 「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう

「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう

アトピー&食物アレルギーを持つ子供を育てて30年が過ぎました。
夫と別居し、娘とふたり暮らしを楽しむため、見ないふりしてきためんどくさいことに向き合い始めてます。

今日から新学期ですね。

学校も2学期制が増え、今日から給食という子供たちも多いのではないでしょうか。


うちの下の子、食物アレルギーのため給食が食べられず、毎日お弁当でした。


そのお弁当、小学校6年間、学校で給食がある日は、私が毎日息子の教室まで届けてました。

給食が始まる少し前に…。


私が住んでいる地域は、一応教育委員会の方針として、食物アレルギーの子に対して、代替食を作り子供に提供する…となってるはずなんですが、息子が小学校に入学する前に、さんざん学校側と給食に関しての話し合いを重ねたんですが、いざ息子が入学してみると…


「生徒全員への、給食のスムーズな調理と提供のため、1人のために代替食は作れません」

と言われてしまいました。


まぁ、朝お弁当を持たせてもよかったんですが、学校側が嫌がったんですよね。

「お弁当を持ってきてもいいですが、何かいたずらされて、どうにかなっても責任はとれませんから」


学校側もそんな感じだったので、私がお昼に届ければいいんだ…と。

そんな感じで6年間届けてました。


まぁ、当時、いろいろと思うことはありました。

校長先生の「やる気」ひとつで、代替食を作るのは可能だったみたいです。

栄養士の先生、担任の先生、

「なんとかしてあげたい」

協力してくれようと、動いてくれる方も実際にはいました。


逆に

「何、特別扱いじゃん」

そんなことを言ってくる保護者の方もいました。


私がお弁当を届ければ、全て丸くおさまることが分かったので、私はお弁当を毎日届けることを決めました。


今振り返れば、

「あー、そんなこともあったなー」

とそのぐらいの話です。


息子に聞いても、

「えー、まじでー、6年間も届けてもらったっけ?」

そんなに覚えてないようです。


まぁ、そうは言っても、いろいろなことがありました。

覚えてないって言ってる息子も、

「なんで僕をアレルギーの子供に産んだの?」

と私に詰め寄ったときもありました。


でも一番大事なのは、

「今、元気に生きてること」

私は、そう思います。


「お母さん、お弁当を6年間届けてくれて、ありがとう」

そう息子が言わなかったのが、せめてもの救いだと思っています。


長い人生、そんなこと、全然たいしたことじゃあないんですよ。


今日も読んでくださった方、ありがとうございます<m(__)m>