コロナ以来3年ぶりの熊本出張。新大阪で待ち合わせをした。
九州新幹線さくらに乗るのも久しぶりだ。新大阪まで在来線に乗るのが面倒だが、座席がゆったりとしているのがいい。
久しぶりの熊本行きだったが、いきなりJRの橋桁への車の衝突事故。おかげで在来線が大幅に遅れ、慌てて京都から新大阪まで新幹線に乗った。
そのちょっとしたアクシデントは、熊本に行けることに浮足立っていた私に、警鐘を鳴らしているようだった。
火の国、熊本。それは私の第二の故郷と呼ぶにふさわしいところ。
母の実家が熊本であったため、小さい頃によく行った覚えがある。
またその縁もあって、大学の4回生の終わりごろ、たった2か月ではあったけれど叔母の家に居候をしていた時期があった。観光や食事に連れて行ってもらったり、同じ年ぐらいの従妹たちと遊んだりしていたが、だんだん時間を持て余し、アルバイトに行ったりもした。
最初のバイト先は、叔母の家の近くの「かつ美食堂」。
そこは、馬のホルモンの味噌煮込みが有名で、お客さまは連日満員であった。
夕方17:00~21:00までのバイトであったが、「姉から預かっているから」という叔母の言葉が効いていたのか、皿洗いしかさせてもらえなかった。
でも、遠く離れた知らない街で仕事をするというのは、とても楽しかった。
耳慣れない言葉に、関西とはちょっと違う文化、そして食べ物に毎日がとても新鮮だった。
お店の方々にも可愛がってもらい、時々メニューにある味噌煮込みを食べさせてもらった。
馬のホルモンは牛のホルモンとは違い、一口サイズが大きくて柔らかかった。口の中に広がるちょっと濃い目の味わいが何ともいえず美味しくて、とても優しい熊本の人たちの人情が染み出ているようだった。
もっといろいろな人と関わりたくて、昼間のバイトを自分で見つけてきた。
短期で昼間から夕方まで、できたら熊本の中心街という条件に合ったのが、熊本の繁華街上通りにあるサウナだった。
受付のつもりで面接にいったのだが、なぜか食堂の賄の仕事だった。
小さな常連ばかりのサウナだったので、食堂も小さく家庭的な雰囲気。メニューも日替わり定食と家庭料理だ。
そこでの私の仕事は、料理の注文を聞いて作る役と運ぶ役、そして片付ける役というように、小さな食堂を切り盛りすることだった。といっても、私1人ではなくパートの方と2人での仕事だ。
その頃の私は22歳。家で料理をしたこともないので包丁もろくに使えなかった。
「あたは、キャベツの千切りもできんとね」といきなり怒られたのがとても懐かしい。
また、夕方で交代のため、夜の定食メニューを考えて材料を仕入れて仕込みをするところまでが昼の者の仕事であった。
お昼どきの忙しい時間が過ぎると、いつも城屋ダイエーに買い物に行った。
買い物かごを持ちながらうろうろしている間に、夜の定食メニューのメインを考え買い物をした。
パートの方は魚の煮つけが多かったが、煮つけのできない私はほとんど揚げ物だったような気がする。
メインに添えるポテトサラダの作り方やみそ汁の油あげの保存の仕方など、料理の下ごしらえについていろいろなことを教えてもらった。今、何とか人並みに料理ができるのはこのときの経験があったからと思っている。
またサウナなので、お風呂のちらかった桶などの整理も仕事のうちだったが、私の代わりにパートの方がいつもやってくれていた。
ある時パートの方が休みだったので、私が男風呂に入っていくことになった。
いきなり男風呂に入って来た私に、お客様の方が恥ずかしがって隠れていたのがとてもおかしかった。
言葉には言い尽くせないほどの、とても素晴らしい火の国の思い出が私の心の中にある。
言葉の微妙なニュアンスが通じなくて、辛い思いをしたこともあるが、火の国の人たちはみんな温かだった。
一生懸命関わってくれてくれたことは、火の国ならではの熱い人情だったのかもしれない。
そして、いつも私の眼には熊本のお城が映っていた。
さくらに乗ること2時間40分ほど。熊本に着いて、ホテルにチェックイン。
京料理を彷彿させる日本料理での接待の食事を終えた後、馬刺しが好きだといった私のためにちょこっと馬刺し専門店に連れて行っていただいた。熊本で食べる馬刺しはやはり美味しかった。
また懐かしの上通り商店街は街並みは変わってしまったが、いつも目印にしていた「入江タクシー」はまだそこにあった。
そして、暗闇の中にぼわっと浮き出た熊本城は、私が22歳のころと変わらず堂々とした佇まいを見せていた。
熊本城を見ると、いつも熊本で過ごした若かりし頃の記憶が蘇る。
楽しかった、面白かった、辛いこともあった、でもやっぱりよかったと思っている。
いろいろなことを教えてもらった。
いろいろなことを経験させてもらった。
いろいろな人と関わることで、学ばせてもらった。
若かりし頃のとりとめもない素直な思いを心のノートに書き留めた。
それは「火の国ノート」
熊本城を見ながら、そのノートを久しぶりに開いたような気がした。
久しぶりの「火の国ノート」に続きを書き込まなければと思いながら・・・。