愛し愛され〜

サルトル先生の有名な標語

《実存は本質に先立つ》

実存の方が大事やねん!

なるほど。。。とはならないですよね。いきなりは。

サルトルの例をあげると

ペーパーナイフの例ですね。

ペーパーナイフは職人が作ります。

その際、職人はペーパーナイフがどんな用途なのかを知った上で、

その用途に合うように設計します。

紙を切りやすいように職人はペーパーナイフを

魚を切るナイフとはちがった設計をします。

まず、ペーパーナイフとは何か、本質が先にあり、

本質に基づいて現実のペーパーナイフは
作られます。

ペーパーナイフは本質が先にあることになります。


でも

ヒトは神が作ったというならば。

神がペーパーナイフ職人と同じように、

こうあるべきだという設計で人間を作ったんですかね???

あらかじめ用途が規定されてたんですかね。人間は??

そうじゃないでしょ。

人間は本質よりも実存が先にあるでしょ!!!

自由に、なりたい自分を選びとっていいじゃない!

最初から生まれ落ちた瞬間に、用途なんか決められてたまるか!!

先生になりたければどうぞ

ローソンで働きたければどうぞ

結婚したければどうぞ

したくなきゃ別にどうぞ

実存が先にあって、本質なんて最初から設計されてない。

本質は選びとっていいんですよ。

ペーパーナイフじゃないんですから。

これがサルトル先生が叫んだ実存主義ですね。

人間は自由の刑に処せられている。

自由であることは実は不安だったりします。

何をしてもいいんですから。何を選んでもいい。

もちろん自己責任で。

だから、

先が見えない怖い。

他人が選んだことを自分も選べば安心。

怖くないから。

逆に言えば、怖いこと=本当の自由

怖さは自由と同義なんですよね。

自分が怖くて怖くてたまらないもの。

これが本当の自由の扉なんですよ。

怖さが伴わない自由は自由ではないと

サルトルは教えているんですよね。

それはこうなるだろうって

予測がついてしまうのは自由とは呼ばず

予定調和でしかないのですから。

本当の自由は怖さと共にある。

サルトルはそういう目を持って自由を見てたんですよね。

人間は自由の刑に処されている。

自分で何でも選べるんですよ。

選びとったもので今日が形成されているのですから。

自分が自由と感じているもの

それは怖いものではないと本物の自由じゃない。

安心と自由は同居できないのですから。

そんなこんなで

今日も愛し愛され〜

愛をこめて!

アシュラ

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