愛し愛され~

アタルと第二回宇宙言語学勉強会の録音をしたんですが、

いやぁー あたしがぶっ飛んでしまいまして、

語る×語るのヤヴァにしATSUSHI

YHWHってなんだよーーー ヤハウェ~とか騒いでしまい

神聖なる四文字(ギリシア語でいうテトラグラマトン)を叫んでしまいました。

詳しくは宇宙言語学のラジオ聞いてくださいとしか言えないのですが、

神とはなんぞや?っていうのをずっと考えてしまいました。

自分を証明する際に、

アシュラは〇〇である。

この〇〇は

他との関係性とでしか示されないという窮屈さ。

アシュラは日本人である。

日本という関係性

アシュラは〇〇の子供である。

〇〇との関係性。。。。

我々はやはり社会的動物という宿命から逃れられないのでしょうか。。

とか考えてしまったわけですね。

神との対話は

Conversations with God ですが、

この続編で

Friendship with God 

それから

Communication with God 

このcommunication with God が

神と1つになると訳されていたんですね。

なるほど。

神との対話の副題が

宇宙を見つける自分を見つける。

なるほど。。。。

宇宙を見つける自分を見つけるってすげーーー深いと思いまして。

一回、自分を俯瞰視している日本語ですよね。

幽体離脱的な。

自分の使っている言葉とか、一度、幽体離脱して整理してみたいですよね。

神と対話することで、自分の日常を一度、引いてみるといいますか。

俯瞰視してみたい。。。

そんな気さえ起きてしまったのです。

読んだ文章は

In the spring of 1992- it was around Easter as I recall-

ここまでだったんですが、

Easter っていうのが復活祭ですが、

そのそも復活祭の意味はなんなのでしょうか?

この辺はアシュラ師匠にすげー似てる

デブな言語学者の先生の別なアメブロにその考察がのってますが、

春と復活祭の関係

そして人が思考するその瞬間

いろいろ考えさせられたものです。

It was around のit は何なんですか?で今回の勉強会は終わったんですが、

旧約聖書のヨブ記にまで話は及び

人は、絶望の中で何を祈り、何を求めるのか。

そして人は答えのない答えを求める。

こんな話で終わってしまいました。

そんなこんなで、まだ音声編集は終わってないのですが、宇宙言語学研究会は人生とは何かを言葉の宇宙を通して考えて行こうと思います!

愛し愛されー

きゃぁーーーーーーーー

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